ジャーナリスト・大熊一夫さんの「半世紀前と変わらないニッポン」/日本とイタリアは何が違う?/「治療=牢屋」と「治療=自由」

4月30日に開催したジャーナリスト・大熊一夫さん(元朝日新聞記者)の講演会は満員の大盛況となりました。「閉じ込める」「縛る」を治療だとか、医療だとか言い続ける日本の精神医療の異様さが改めて浮かび上がり、「ひとりひとりが声を上げて、こんな惨状は即刻変えなければならない」という思いを強くする場となりました。

イタリアの精神医療改革にも詳しい大熊さんは「『牢屋こそ治療だ!』のニッポン、『自由こそ治療だ!』のイタリア」と、両国の決定的な違いを端的な言葉で表した上で、53年前、大量の酒をわざと一気飲みして東京の精神病院に潜入した時の様子を振り返りました。

その時に付けられた病名は、「精神病質」と「急性アルコール中毒」。なんとも杜撰な診断です。「患者たちは悪臭と寒気の中に放置されていました。そこはまるで、人間の捨て場所でした」「病棟では自由意志も自己決定もことごとく無視され、ほぼ全員が無賃に近い労働を強要されていた」「病棟の住民はみな萎縮し切って、人生を諦めてしまっていた」などと振り返り、「日本の精神病院は牢屋並みどころか、牢屋以下。そこがすごく大事なポイントです」と強調しました。そして、旧厚生省の政策の最大の失敗を「精神疾患の人々の収容を盛大なビジネスにしてしまったこと」と指摘しました。

精神疾患の人たちの収容(治療ではない)を「ビジネス」にしている日本の状況は今も同じです。しかし欧米では、向精神薬の登場もあって1960年代以降、「精神疾患はコントロールできる」との考え方が広まり、収容型の精神病院を廃止して地域でケアする体制への転換がはかられていきました。その代表格がイタリアです。

イタリアの改革の中心となったのが、精神科医のフランコ・バザーリア。「精神科医の変革を待っていては何も変わらない。今は大きな文化運動を起こして、精神科医が変わらざるを得ない状況をつくることが大事だ」との考えのもと、病院から地域へ、の改革を進めていきました。しかし、この運動は順風満帆だったわけではありません。

大熊さんは語ります。「精神病院で開放運動を始めた頃、外泊させた患者が妻を殺害する事件を起こして、バザーリアも責任を問われて失職しました。しかし、そんな彼をトリエステが精神病院の院長として迎え入れ、改革を一気に進めていきました」。

以後も、改革に反対する運動が起こりましたが、トリエステでは1971年から78年までに、病院の全人材を地域精神保健サービスに移行させました。そして78年5月には、トリエステの実践を全イタリアに普及させる法律(180号法)ができたのです。大熊さんによると、この法律は精神病院を新たに作ることを禁じ、既にある精神病院に新規で入院させることも禁じました(1980年末以降は再入院も禁止)。予防、治療、リハビリは地域精神保健サービスで行い、やむを得ない入院(センター中心の治療がうまくいかない場合)は、総合病院に15床を限度に設置する精神病床で対応することになりました。

地域精神保健センターを核としたイタリアの改革は、WHOのパイロットモデルになりました。ただし州ごとに力の入れ方に差があり、「イタリア全土で707施設ある地域精神保健センターのうち、年中無休で24時間稼働しているセンターは50か所にとどまります。課題はまだ残っているのです」と大熊さんは指摘します。

イタリアの精神科入院施設は現在、総合病院精神科診療サービス(強制入院はここで受ける)321施設(3997床)、大学付属病院8施設(162床)、デイホスピタル309施設(1155床)、私立精神科施設56施設(3975床)で、合計9289床とのこと。これに加え、法務省管轄の司法精神病院6施設(約1000床)があります。強制治療の期間は7日間、延長の場合も市長らの承諾が必要など厳しい歯止めがかけられています。大熊さんは「私立病院には強制治療を許していないことも重要なポイントです。これにより、精神科医は治安の責務を負わなくてよくなったのです」と語ります。

収容目的の施設を縮小し、地域ケアに移行したのはイタリアだけではありません。欧米の多くの国が取り組みました。しかし、日本は今も精神病院だらけ。八王子の滝山病院のように「死なないと出られない」と噂される病院がいくつもあります。なぜ日本の国民は、こんな状況を平気で放置できるのでしょうか。

大熊さんはイタリアと日本の状況を対比させながら、次のように語りました。「イタリアは精神病院を可能な限り縮小し、それまで病院運営に投入していたカネと人材を地域精神保健サービス網に振り向けました。日本のように病院にばかりカネを投じていては、地域サービスに回りません。精神病院のないトリエステでは、患者の社会に対する恐れも、社会の患者に対する恐れも軽減されたと聞いています。国民の意識を変えるためにも、精神病院の縮小と地域サービスの拡大が必要なのです」。

精神疾患の人たちを数十年も精神病院に閉じ込めたまま、平然としている日本の不気味さは、昨年、国連からも強い批判を受けました。長くいても良くならず、かえって悪くなることが多い施設を「病院」や「医療」と呼び続ける意味不明な解釈は、いい加減やめませんか。臨床の最前線で真面目に精神医療に取り組んでいる医師や看護師たちにも失礼です。

大熊さん、ありがとうございました。ゲストの長谷川利夫さんのお話は、後日、「精神医療ルネッサンス」で取り上げます。

横浜で講演する大熊一夫さん(佐藤光展撮影)