人間を「ポイ捨て」する社会の闇/「最終処分場」を作らせたのは誰だ/滝山病院事件の背後にあるもの

看護師が患者への暴行容疑で逮捕された医療法人社団孝山会・滝山病院は、JR八王子駅前からバスに30分以上乗った後、徒歩で静かな集落を抜けて、特養の横の坂道を上った山の中にある。敷地に面した都道は幅が車1台分しかなく、病院の入口付近にも病院名を記した看板はない。ただ、部外者の侵入を禁じる「告示」と書いた古いボードに、小さく「滝山病院院長」とあるのみだ。

滝山病院の入口

更に坂道を上り、敷地の裏側に歩みを進める。病棟のすぐ脇の敷地と道路の境界には、目隠しのためか比較的新しい青いフェンスが設置され、そこに公明党のポスターが複数貼られている。そういえば、創価大学や東京富士美術館はここから近い。

公明党のポスターが貼られた病棟横の青いフェンス

病棟から少し離れると青いフェンスが終わり、古い金網フェンスに変わる。斜め上から見下ろす病棟の背部は、手前のうっそうとした山林とも相まって廃墟のような印象だ。

滝山病院の病棟裏側

周辺でゴミの不法投棄が多発したのか、錆の目立つ金網のあちこちに、子どもたちが書いたポイ捨て禁止の絵が括り付けられている。風雨で傷み始めたそれらと、いかにも昭和な病棟を交互に眺めるうちに、精神科医くるみざわしんさんが劇作家として生み出した演劇作品「精神病院つばき荘」での、長期入院患者らのセリフが脳裏に蘇った。

「私たちはとてつもなく大きなものに見放され、見捨てられている」

滝山病院を囲むフェンスにある「ポイ捨てをやめよう」の絵(学校名等を消去)

この数十年間、精神科病院でのおぞましい虐待や人権侵害が嫌というほど発覚した。問題を起こした病院の多くは、この国や社会から見捨てられた「棄民」を閉じ込める収容所だった。事件が発覚して廃院に追い込まれる施設も一部あったが、同様の事件は今も発生し続けている。

収容所がいつまでも無くならない理由は、この社会が求めているからだ。そもそも病院監視役の行政が、問題の多い病院を「対応が面倒な患者をすぐに放り込める場所」として便利使いしているのだ。定期的な立ち入り検査など、厳密にやるはずがない。

念のため言っておくが、「対応が面倒な患者」と「他人に迷惑をかけまくる患者」はイコールではない。長期入院を含む不適切な精神医療や、地域での孤立などの劣悪な環境が、いろいろな面でこじれた患者を生み出していく。あるいは、実際は大して面倒ではないのに、やる気のない役人が手間を省くために、「面倒な患者」扱いして精神科病院に放り込むケースもある。身寄りのない生活保護の患者が、行政の判断でこうした病院に送り込まれるケースも目立つ。事なかれ主義の無能役人にとっては、大変ありがたい施設なのだ。

都内の精神科病院事情をよく知る人たちは、以前から口にしていた。「最初は都心に近い病院に入院した人でも、入院が長引くと急性期対応の病院にはいられないので、長期入院を引き受ける西部の病院に転院させられていく。そして西へ、西へと移動し、最後に行きつくのが、滝山のような透析患者も受け入れる病院」。まさに人間最終処分場である。実際、滝山病院の退院患者の大半は、死亡による退院という異常な状況が続いていた。

滝山病院の“評判”は、県境も越えていた。神奈川県内の精神科病院に長く勤務したソーシャルワーカーは「身体を悪くした患者は滝山病院が何でも引き受けてくれるという話を耳にして、ゾッとした記憶があります」と振り返る。

一方で、透析に対応できる病院が他に見つからず、不足する地域支援に頼るわけにもいかず、滝山病院に入院させざるを得なかったケースもある。心身ともにしっかりケアできる病院が著しく不足しているのだ。今回の事件発覚をきっかけに、異様に高い死亡退院率も知った家族や支援者は、罪悪感に苛まれていることだろう。

看護師による患者虐待は確かに悪い。「人手不足」や「多忙」は、犯罪を肯定する理由にはならない。だが、この問題はもっと根が深い。最善のケアを考えぬまま人間をポイ捨てする社会を根本から改めない限り、この種の事件に終わりはない。

2023年2月20日 佐藤光展 撮影