日弁連のイベントで堀合悠一郎副会長がスピーチ/どんな話だったのか、原稿を全文公開
みなさん、こんにピア!!
2023 年 1 月 26 日、KPの堀合悠一郎副会長が、日本弁護士連合会主催のイベント「精神障害のある人の未来をひらく集い」にパネリストとして参加し、スピーチを行いました。KPちゃんはこの日、別の仕事があって聞けなかったので、堀合副会長からスピーチ原稿をもらいました。とても大事なことが書いてあるので、全文公開します。
みなさん、こんにちは。私は堀合悠一郎と申します。
私は精神障害当事者です。10 代前半の頃、最初は睡眠のサイクルの乱れから、続いて、強い対人恐怖を感じ、その結果、社会的引きこもりを経験しました。ひたすら、不甲斐ない自分自身を責めていました。
18 歳の時に精神科を初めて受診し、トータル 15 年以上のリハビリ、そして福祉的就労を経て、34 歳の時から障害者支援事業をおこなっている NPO 法人で常勤職員として働いています。私の働く立場は、日本では、時に「ピアスタッフ」と呼ばれています。
私自身は、精神科病院への入院体験はありませんが、これは環境に恵まれていたせいであり、 場合によっては入院となっていてもおかしくなかったと思いますし、これまでに出会った 多くの当事者の仲間たちから、辛い入院体験の語りを沢山聞いてきました。
みなさまご存知の通り、日本の精神科病床数は世界最多です。その多くは民間が経営する単 科の精神科病院にあり、20 万人を超える非常に多くの当事者が今も、自由を剥奪された入 院生活を送っています。入院に至るきっかけは、人それぞれですが、多くの当事者にとって、精神科病院への入院、特に強制入院は、心も体も傷つけられる非常に辛い体験として記憶されています。
なぜ、かれらは強制入院となったのでしょうか? 手続き上、その入院要否の判断は精神科 医の診断によります。そのためには、精神科医の診察を受けなくてはなりませんが、そこに 至るまでの段階で、すでに、本人、加えて多くの場合、家族(しばしば親)が非常に辛い思いをしています。
そもそも、本人は、できれば精神科病院には入院したくないですし、家族も、できることな ら本人に入院してほしくない、はずです。なぜならば、日本の精神科医療が長年とってきた「隔離・収容文化」と言ったら良いでしょうか、これは、精神疾患のある本人を社会的に危 険な存在とみなし、彼らを多くは強制入院によって病院に「隔離・収容」することで社会の 保安をはかる、ということを社会の暗黙の合意とした文化だと私は考えます。
その「隔離・収容文化」が、一般の人たちに「精神科病院は危険な人を閉じ込める怖いところ」というイメージを植え付けてきました。これは本人に、「自分は精神疾患を発症して社会から危険と見なされる存在となってしまったのか?」と、大変な負い目(セルフ・ スティグマ)を負わせる社会の強い偏見です。とにかく、そうした精神医療の近づき難いイメージ、そして内なる偏見(セルフ・スティグマ)の前で本人や家族が思い悩み、本人が専門的なケアにつながることができずにいる中で、精神疾患の症状をはじめとした本人の状況が悪化すると、これは不眠や、過度の緊張や、周りから見て攻撃的と感じられる振る舞いなど、周りの人も辛く、本人もとても辛い、心身がすり減るような思いをするものです。
そしてもう、本人も同居家族も、自分達だけで本人の精神疾患に対処するのは不可能だと感じる時が来ます。これは、最後の手段として、精神科医療に頼るしかない、と。しかし、先にお話ししました精神科医療の暗い「隔離・収容」イメージがもたらす不安や恐怖は、これは決して家族の辛さを軽んじるわけではないとご理解いただきたいのですが、実際に入院することになりうる本人のほうに、より強く作用すると思われます。
本人は、もう心も体も限界でも、入院は怖いのです。そこで、しばしば家族が、本人か家族か誰かの命が危険に晒されるという最悪の事態を避けるために、心を鬼にして、本人のことを無理やり病院に連れていくことで、なんとか本人を受診につなげることがあります。
ちなみに日本には、この「本人を無理やり病院に連れていく」ことをビジネスにしている企業も存在します。また、法律上に定められた、医師の診察のもと病院へ本人を移送して入院させる、制度もありますが、手続きが厳重で時間を要するため、こちらは実際に適用されることは稀です。
そうして、本人は、緊張や不安、混乱で心身が張り裂けそうな中、入院となるのですから、 まずは、とにかく、速やかな手厚いケアが必要なはずです。不安や恐怖感を引き起こすこと のない、安心できる環境が何より必要なはずです。しかし、日本の精神科医療では、しばしば、こうした場合に、「厳重な治療」が、強い鎮静作用のある薬物投与や、外から鍵がかかる保護室への隔離、そして時にはさらに、本人には解けない拘束器具を使用した身体拘束、これは場合によっては血栓症による死亡のリスクを伴う危険な処遇ですが、などの形で行われてしまいます。
これは、治療という名目のもとに、本人に更なる不安や恐怖、さらには命の危険を与え、また、本人のことを誰よりも大切に思っても入院中は常には会うことが叶わない家族や大切な人たちにも大変な不安や悲しみを与える、とても癒しと呼ぶことはできない行為なのではないでしょうか。
しばしば、この「厳重な治療」は、他に選択肢がないかのように強制されます。実際、私の友人の一人は、診察室でスタッフに体を抑えられ注射をされる時、不安と恐怖から抵抗すると、さらに多くの屈強な病院スタッフに体を抑えられ、隔離先の保護室まで運ばれたといいます。鎮静剤を投与され、保護室に隔離された後、鎮静から意識が戻り、状態が落ち着いたとみなされ身体拘束を解かれ保護室から出ても、不安は続きます。病棟を見回すと、自分と同じように入院している人の多さに愕然とします。彼らと話をするようになると、ある人はもう何年も入院を続けていたり、またある人は強制入院で医師から退院は無理と言われていたり、 さらには、とても落ち着いた雰囲気でどこが病気なのかわからない様子の人が何年も入院している、などの事がわかります。「これだけ多くの人が何年も(長期)入院しているのだから、自分も、いつまでも出られないのかもしれない」。しかし、何故?と問わずにはいられません。
代表的な強制入院には2種類あり、そのうち「医療保護入院」には、家族等の同意が必要と なっていました。これは、最近の法改定で、家族等の同意や意思表示がなくても、自治体の 首長の同意で入院とすることが可能となるようです。今までは、形式上、家族等の同意を得 ることで、本人を強制入院させることの責任の所在が曖昧にされていました。実際、入院が 必要との診断を下すのはあくまで精神科医であったにも関わらず、です。
入院した本人の中には、「家族が同意書にサインしたせいで、強制入院させられた」と感じ、その後の家族との関係が悪化したり、場合によっては家族を恨んだりする事があります。責任の所在を曖昧にしたまま強制入院がなされてきたことの弊害を、本人と家族が受けてきたのです。今回、家族等の同意がなくても首長等の同意で強制入院が可能になることで、この「医療保護入院」、これは日本における精神科強制入院の大部分を占めますが、の本質が明らかになると思います。 それは、とても見過ごすことのできないものです。
本人のリカバリーのためには、強制入院を優先することではなく、本人をはじめ、家族、精神保健医療福祉関係者(医師、看護師や作業療法士、ソーシャルワーカー、ピアサポーター等)の協働による地域ぐるみでの支援が必要かつ有効であり、それが本来あるべき精神医療の形だと思います。今日ここでの議論が、あるべき精神医療の形についての実践的な議論、そして行動を広げる一助になることを願います。ご清聴ありがとうございました。
堀合副会長のスピーチ、いかがでしたか。日本の精神科病院は医療を行う所ではなく、「隔離・収容」を主目的に次々と作られたので、その入院環境は劣悪(良い病院、努力している病院もありますが少数)です。精神科病院の多くは、メンタルヘルスをますます悪化させる所なのです。
この深刻な問題に、これまで鈍感だった日弁連が、やっと動き出したのは大きな前進です。「入院したくなる」精神科病院が増えるように、みんなで力を合わせて頑張りましょう。
それではまた、ケイピー!!
