変わる精神医療制度を考える④/やめられない医療保護入院/神奈川は全入院の7割が強制/家族会の意向は聞くが当事者は無視/弁護士・池原さんらの国会発言も

2022年11月21日、精神保健福祉法を含む5つの法律を一部改正するための束ね法案「障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律等の一部を改正する法律案」が衆議院で可決されました。

複数の法案を束ねる手法には、反対意見が出そうな法律改正案を、多くが賛成する法律改正案の中に入れ込むことで反対しにくくする、という“効果”があります。今回の法案に反対すると、身体障害など様々な障害者の中で、精神障害者だけが孤立する恐れがありました。国は、このような姑息な手段を使うので、それに対抗できるような力と戦術を精神障害者側は身につける必要があると痛感しました。

現状で致命的なのは、モノを言える精神障害当事者が決定的に少ないことです。過去にも、国の検討会などに参加する当事者はいましたが、その数は極めて少なく、いつの間にか体制側に取り込まれたかのような意見しか言わなくなる例が散見されました。国の中枢でチヤホヤされるうちに特権気分に浸り、のぼせ上っていくのかもしれません。精神障害者を真っ当な人として扱わない国や社会に対して、正当な怒りをきちんと(異様に暴走することなく)ぶつけられる当事者が求められています。

さて、今回の改正案で最も問題視されたのは、強制入院のほとんどを占める医療保護入院の扱いです。改正案をめぐる当初の検討会では、医療保護入院の「将来的な廃止」が打ち出されました。ところが、日本精神科病院協会(日精協)の横やりなどがあり、この方向性は変質していきます。そして、「将来的な廃止」という文言はきれいさっぱりなくなりました。

自傷や他害の恐れはなくても、入院による精神医療が必要と医師が判断した人に対して、これを拒むと強制的に行われる医療保護入院は、現在、精神科入院の半数を占めています。KPがある神奈川では、なんと精神科入院の7割(68%)が医療保護入院です(KP発行のデータ本「どこに行けばいいの?!」で確認できます)。入院患者のほとんどが、本人の意思に反して病院に強制的に閉じ込められているのです。

病院側からすると、医療保護入院は経営維持に欠かせないボリュームを占めるので、日精協が廃止に反対するのは無理もありません。それでも「世界でも稀に見るおかしな制度」(杏林大教授の長谷川利夫さんが参院予算委員会で語った言葉)ですから、厚労省は廃止を目指して筋を通すべきですが、結局は忖度にまみれてこのザマなのです。

医療保護入院は、「入院したくない」という本人の意思は無視して、精神科医(精神保健指定医)たった1人の判断と家族の同意で行えます。なぜ本人の言葉を無視するのかといえば、主な理由のひとつは「病識がない」から。しかし、「私は精神疾患ではない」と主張することと、「思考力や判断力の欠如」はイコールではありません。精神科医の斎藤環さんが言うように「統合失調症の急性期でも、対話が成立しない人は、最近はまずいない」のです。ところが精神科医たちは「聞いても時間の無駄」という態度をとり、家族の話だけで入院させる暴挙を繰り返しています。

その結果、「病識がない」という理由で病気だと判断して強制入院させたのに、後になって「病気ではないから病識がなかった。要するに正常」と分かり、逆に家族の方が病的な虚言癖や犯罪者(強制入院させて財産を奪う狙い等)だった、という笑えない人権侵害事件がしょっちゅう起こるのです。私のこれまでの著書や記事でも、そうした強制入院制度の悪用例をいくつも紹介してきました。

医療保護入院になるケースの多くは、本人と家族との間にもめ事が発生していますから、両者は入院を巡って利益相反の関係にあります。家族が「入れたい」という裏には悪巧みがあるかもしれないのに、簡単に同意者になれてしまいます。また医療保護入院を受け入れる病院では、その病院の医師が入院の要否を決めるので入れた方が得になり、入りたくない患者との間に利益相反が生じます。利益相反のホームラン王とも言える歪んだ仕組みの中で、当事者の主張は無視され、人権侵害の横綱ともいえる強制隔離収容が成立します。国連の障害者権利委員会が、日本に対して強制入院の廃止を求めるのは当然なのです。

それでもこの国は、医療保護入院を存続させようとしています。国は「医療保護入院の入院期間に6か月の上限を定める」という条件を新たに加え、改革のフリをしましたが、これは上限値ではないので、病院が半年に一度見直して「まだ必要」と判断すればいくらでも延長できます。子どもだましにもほどがあるわけですが、それだけ「もの言わぬ」精神障害者はバカにされ、なめられているのです。

家族が入院について同意、非同意の意思を示さない場合、市町村長の同意で医療保護入院を実行できる、という新たな条件も導入されます。これは「家族会の意向」を反映したことが国会で明らかにされました。家族は入院させたいけれど、同意者になると患者から恨まれて関係がますます悪くなる。そのため意思を明らかにせず、代わりに市町村長が同意してくれ、という狙いが含まれています。公の責任逃れのため、過大な責任を家族に押し付けてきた状況が、少しでも改まる展開は悪くありません。

でも結局、「患者のいないところで患者のことを勝手に決める」という反オープンダイアローグな状況は続きます。そして、例え「心配」という善意に基づくものだとしても、「強制的にでも入院させたい」という家族の意思は患者にしっかり伝わります。

加えて問題なのは、市町村長同意の対応が余りにもずさんなことで、弁護士の池原毅和さんが国会で指摘した通りです(下記の証言書き起こしを参照)。医療保護入院という、世界も驚く恥さらしな仕組みが残る限り、強制入院の人権問題は全く解消されないのです。

最後に、11月16日に開かれた衆議院厚生労働委員会で、参考人として発言した池原さんと、当事者の桐原尚之さんの発言を書き起こしました。国の姿勢に対する両者の憤りが伝わってきます。

繰り返しますが、精神医療を巡る異様な閉塞感を打ち破るには、当事者が次々と声を上げるしかありません。家族や支援者に任せていてはだめです。顔も名前も出して、堂々と被害を訴えてください。悪いのはあなた達ではなく、不勉強、不寛容なヘイト社会なのですから。

衆議院厚生労働委員会(2022年11月16日)

参考人

池原毅和・弁護士(日本弁護士連合会高齢者・障害者権利支援センター精神障害のある人の強制入院廃止及び尊厳確立実現本部本部長代行)

国連の障害者権利委員会は本年9月、日本に向けた総括所見で、強制入院は障害を理由とする差別的な自由の剥奪になるとして、強制入院を廃止することを要請しております。「この総括所見に法的拘束力はないから、それに従う必要がない」というような考え方は、国連の意義をないがしろにし、その機能を貶めるものでありまして、法の支配を基本的な価値とし、国際社会で名誉ある地域を確保することを目指す日本がとるべき考え方とはいえないと思います。

またB規約(市民的及び政治的権利に関する国際規約)については、非自発的入院の要件が極めて広範であると指摘をされています。強制入院を最小限の期間にすべきことも求めています。拷問等禁止条約については、医療保護入院の決定を民間の私立病院が行えること、そして長期入院が続いていることに懸念が示されています。

日本の精神科病床数はOECD諸国の37%を占めているといわれまして、大量の入院者がおり、その約半分が医療保護入院を中心とした強制入院者です。医療保護入院者の約63%が1年以上の長期入院者で、5年以上の入院者が30%以上もいらっしゃいます。他国に例をみない長期で大量の入院者と、強制入院を多用しているということについて、B規約の委員会は「強制入院の要件が緩すぎる」ということ、それから「必要最小限度を超えた入院を許している」ということに原因があるというふうにみて、改善を求めているわけです。

拷問等禁止条約の委員会は、大量の強制入院者と入院の長期化の要因として、裁判所でも行政機関でもない民間の私立病院が医療保護入院を行えることに問題があるとみて、勧告をしています。そして障害者権利委員会は、精神障害のある人だけを対象にする強制入院がそもそも差別的であるということを指摘しているわけです。

自傷他害の危険性があっても、一般の人は強制的に収容されませんし、内科や外科の患者さんを「判断能力がない」として、本人の意向に反してでも入院させてしまうという制度はないわけですから、障害者権利委員会の総括所見も、その意図をわたくしどもは真剣に受け止める必要があるというふうに考えます。

これらの条約は批准によって国内法になっておりまして、法律より上位の法規範になっているということも忘れてはいけないと考えます。以上のように、日本が批准している各条約は強制入院を少なくとも最小化すること、本来であればなくしていくことを求めています。こうした大きな方向性から、今回の精神保健福祉法改正を検討していくことが必要だと考えます。

そこで、日本弁護士連合会の会長声明(2022年11月9日付で発出した精神保健福祉法改正案の見直しを求める声明)を見ていただきたいと思いますが、第1に、医療保護入院の期間を限定しながらも、何度でも更新できるという点を問題にしています。問題は、方針の判断が公正かつ厳格に行われるかどうかにかかっています。現行法では、精神医療審査会が12か月に一度、各病院からの定期病状報告を審査して、入院継続が不要であると判断すれば都道府県知事等が退院命令を出すことになっております。

しかし、精神医療審査会が入院継続不要と判断した事例は、毎年なんと0%ということになっています。精神医療審査会は、独立性に問題があるとされていますが、それでも病院とは別の機関です。その機関でさえも、入院継続不要の判断をほぼしていないのにですね、改正法による入院期間の方針は、患者さんを入院させている病院が自ら行うわけですから、ほぼ自動更新になってしまうということが予想されます。少なくとも、更新回数を1、2回に限定するくらいの工夫をしなければ、強制入院の縮小化、長期入院の解消、という効果は期待できないというふうに考えます。

第2に、家族が医療保護入院の同意、もしくは不同意の意思表示を行わない場合に、市町村長の同意で医療保護入院を行えることにしてしまう点にも問題があります。市町村長が同意して医療保護入院させた患者さんについて、本人への支援や主治医との連携、その他の担当者との連携を半年に1回以上はした、とする市町村は1、2%にとどまっています。適切な入院判断ができていない、形式的で形骸化している、という市町村担当者の回答が多くみられます。精神医療審査会の委員からは、市町村の担当者が入院に全然関わっていない、同意が形式化して無責任、制度そのものが形骸化している、などが多かったとされています。市町村長同意の実態について、十分な立法資料を集めずに、家族の同意が得られない場合に市町村長同意で代用するという改正は、形式的で形骸化した同意によって医療保護入院を拡大してしまい、入院をさせたまま放置して長期入院を更に増やしていくという作用を果たすことになります。以上のような法改正の方向性は、強制入院の縮小化の方向性に逆行するものです。

第3は、虐待防止についてです。問題点の第1は、障害者虐待防止法では市町村が虐待通報の窓口になっているのに対して、法改正案では都道府県だけが窓口になって、市町村の役割が抜けている点です。市町村は身近で小回りの利く機関として障害者福祉の第一線を支えており、障害者虐待についても第一次的な役割を果たしています。法改正案が医療保護入院については市町村長に同意権限を拡張するということにしていながら、入院患者に対する虐待については市町村の権限を認めないというのは制度的矛盾というべきだと考えます。

問題点の第2は、都道府県等が指定する指定医に病院への立ち入りと診察の独自の権限を付与している点です。虐待の立件は、虐待の法的構成要件に該当する事実の確認が必要になります。その認定作業は本来、司法的なものが典型的になりますが、行政機関の職員も法的素養を備えて同様の対応をすることが期待できます。しかし医師は、司法的な事実認定について、専門性を有する職種ではありません。ですから、ここで指定医に独自の権限を与えるのは見当違いであり、むしろ同僚審査の弊害を招く恐れがあると思います。医学的所見が必要であれば、担当職員が医師を補助者とすれば足りるのであって、医師の所見は司法的、行政的事実認定のひとつの要素になるにとどまると理解するべきです。

障害者権利委員会への次回の日本からの報告は、2028年とされております。本年9月の総括所見の勧告について、2028年までにどれだけ誠実な努力をしたのかが問われることになります。現在の法改正案では残念ながら、強制入院を無くしていくべきであるとする障害者権利委員会の要請には全く届きません。強制入院の要件を厳格化し、強制入院は必要最小限度のものに縮小し、長期入院を無くしていくべきだとするB規約や拷問等禁止条約の委員会の要請にも応じることができていません。むしろ、国連からの要請に逆行していると批判を受けることになってしまうでしょう。今回の法改正が小さな一歩であるとしても、それが向かっていく方向が誤ることがないように、市町村長同意の実態調査なども実施して、多くの国民の納得を得られる法改正を行っていただきたいと思います。

参考人

桐原尚之・全国「精神病」者集団運営委員

この度の束ね法案は障害者を分断するものです。難病の仲間にとっては待ちに待った改正であり、われわれ精神障害者にとっては、参議院先議でありながら廃案という前代未聞の末路をたどった精神保健福祉法改正法案の5年ぶりの出し直しということになります。参議院先議の法案が廃案になるのは、憲政史上初のことであり、前代未聞の出来事でした。

私たちは難病法改正を否定したいなどとこれっぽっちも思っていないのですが、仮に法案に反対しようものなら難病の仲間からはそのように見られてしまうことになります。まさに当事者間の評価が真逆の法案を束ねて、障害者同士の分断を誘発するものでした。

全国「精神病」者集団は唯一、賛否を決める基準として、障害者権利条約の総括所見に基づく法制度の見直しの検討を附則で担保することを示し、それをしなければ反対すると主張してきました。しかし附則には、障害者権利条約の実施について、精神障害者等の意見を聞きつつ検討するとあり、ここで言われている障害者権利条約の実施が、総括所見を含みうるのかどうかは条文上からはわからないようになっています。

先日の加藤(厚生労働)大臣の答弁で初めて、総括所見を踏まえることが明らかになりました。ただ、附則第3条の「精神障害者などの意見を聞きつつ」の部分は、病院団体側からの意見も含まれるのだと思います。結局、総括所見の内容や精神障害者、障害当事者の意見よりも、最終的に病院団体側の意見が優勢になってしまうのではないかと憂慮します。

この度の参考人でさえも当事者の数は少ないです。障害者権利条約の監視機関とされる内閣府障害者政策委員会の中にも、精神科病院を代表する団体の構成員が入っているのに、精神障害、知的障害の当事者は構成員として入っていません。厚生労働省の「地域で安心して暮らせる精神保健医療福祉体制の実現に向けた検討会」は、当事者の構成員が数の上では増えましたが、常に病院団体側の意見が優位との印象が拭えませんでした。

特に、日本精神科病院協会は与野党の国会議員に影響力を持っています。省庁からの提案は政党の政調部会や総務会において反対意見が出ると白紙になると聞きます。それで省庁は忖度します。国会議員の中には日精協(日本精神科病院協会)から献金を受けている者もいるため、立法府内も病院団体の優位に陥りやすい構造があります。

私は検討会において当事者としての立場に依拠しつつも、病院側も含めた他団体とのコンフリクトを回避できるように論理を組み立てて意見を出したのに、日精協からの全くかみ合ってもいない、根拠に基づかない意見によって、議論の蓄積を全否定されました。

具体的には医療保護入院について、「将来的な廃止」(と当初は打ち出していたもの)が、「誰もが安心して信頼できる入院医療が実現されるよう課題の整理に取り組む」と大幅なトーンダウンをしたことが挙げられます。

私は同検討会において医療保護入院の廃止を主張した際に、非同意だから廃止すべき、などとはひとことも言いませんでした。あくまで、精神保健指定医と家族等という2者に負担が集中した現行の医療保護入院制度の建付けの困難さを廃止という形で乗り越え、同意によらない医療開始の手続きを一般医療と同質にしていくことを当面の方策として望んでいるのだと意見しました。

すなわち、非同意の入院が必要であることと、医療保護入院が必要であることを切り分けた上で、非同意の入院自体は必要だが、医療保護入院は廃止すべきであると主張したわけです。しかし日精協は、非同意の入院が必要だから医療保護入院が必要であるとし、医療保護入院が廃止されたら精神医療が崩壊すると言いました。このことは新聞紙面でも取り上げられました。

当事者は、医療保護入院が廃止されても医療が受けられなくなる不安は感じていません。むしろ医療保護入院によって医療不信になり、かえって医療保障が遠ざかると感じています。改めて医療保護入院の廃止に向けて検討することを確認して欲しいと思っています。

身体的拘束の告示改正の検討では、事前に日精協と調整した新要件案が事務局案として出されました。その内容は多くの構成員が反対し、修正を求める意見が出ましたが、検討の中で形を変えて残り続けました。不透明な所で、不透明な形の合意が図られ、その内容が公開された検討会の中で覆らないことに対し、当事者の無力さを感じました。

(次は)精神科病院における虐待についてです。精神科病院における虐待事件は、神出病院事件をはじめ枚挙にいとまがありません。精神保健福祉法の枠組みでは自浄作用が働きにくく、明るみになっていない虐待も数多く存在するものと思われます。私は2018年から2019年にかけて厚生労働省が行った障害者虐待防止法附則第2条に基づく検討について納得していません。

検討の結果、2点の理由で法改正をしないこととなりました。ひとつは、障害の有無に関係なく利用する機関においては、障害者への虐待のみが通報対象となる不整合が生じるということ。もうひとつが、各機関における虐待に類似した事案を防止する学校教育法や精神保健福祉法等の既存法令と重複する部分の調整の必要性が生じること、でした。

しかし、現行の使用者による虐待は、障害の有無に関係ない職場を対象とした制度なので、現行の法律と検討結果の間に深刻な矛盾が生じています。また、医療機関には通報義務こそありませんが、通報自体はできることとされているため、通報義務に伴って新たに重複する部分の調整が必要になるはずもなく、現行の法律との間に深刻な矛盾が生じています。

精神保健福祉法に、精神科病院における虐待の通報義務が設けられたことで、障害者虐待防止法の改正は行われなくなることがないよう、障害者虐待防止法附則第2条の再検討を求めます。

私は、当事者も病院団体も立法府も行政も、知性に基づく論議によって解決しようとする姿勢を見せる必要があると思います。いかに強い立場の人であったとしても、当事者の意見をないがしろにした知性によらない要望は、堂々とはねのける勇気がなければこの社会を変えることはできません。障害者権利条約に基づく日本政府への勧告には、精神保健福祉法に基づく非自発的入院や身体的拘束を含む行動制限(の廃止)、医療観察法の廃止、精神保健福祉法の廃止を含む精神医療の一般医療への編入、成年後見制度の廃止、などが書かれています。

国連が廃止を勧告している政策は、障害者と他の者を分け隔てる考え方の上に成り立っているものであり、これらを廃止して障害者を包摂する社会モデル的な政策へと抜本的に見直す必要があります。精神保健福祉法の場合、精神障害者が病状のために治療の必要性を判断できないという病気の特性があるという医学モデル的な前提に立ち、その上で医療保護入院、措置入院、任意入院という精神障害者だけを別な枠組みに位置付けた入院制度と病床の位置づけ、そして報酬体系があります。

精神障害者は、池田小学校事件や津久井やまゆり園事件のような事件が起きると、度々、犯罪素因者のような扱いを受けて、医療観察法や退院後支援ガイドラインといった制度が作られてきました。偏見が助長されないようにするためにも、退院後支援の警察参加は全国に不安を抱える仲間がいるので、警察が参加しないようにして欲しいです。医療観察法は長期入院の問題が指摘されている中、当初予定されていた以上の病床が整備されていることから、病床整備を凍結されるとともに、法律の廃止に向けた検討を開始して欲しいです。

医療計画には非自発的入院を縮減できるよう、指標例を実数で補足して欲しいです。この社会における精神障害者を取り巻く問題の根本は、精神障害者と関わろうとせず、病院に入れておけばいいのだという市民の意識にこそあります。精神科病院はこうした市民の意識を引き受けて、精神障害者を入院させていきます。すると地域から精神障害者がいなくなっていき、地域の人々が精神障害者と関わり合いを持てなくなっていきます。

精神障害者との接し方がわからない中で、長期入院者を受け入れていこうとはならず、現状の問題を既決しています。私たちは先に市民の理解を得てから、それから地域移行を進めるという順番ではなく、病床を減らすことで入院者を減らし、地域で精神障害者と実際に付き合っていくことを通して、包摂に向けた創意工夫が実現されていくことになると考えています。精神科病院が市民の要求に応えているのは事実だと思います。しかし、そのような所に自信を持って欲しくはないです。そうではない社会を目指すための議論を共にして欲しいです。

衆議院厚生労働委員会で参考人として発言する弁護士の池原さん
(11月16日、衆議院TVインターネット審議中継より)