精神科医&劇作家・くるみざわしんさんの「『精神病院つばき荘』に込めた思い」/患者たちを「見捨てるもの」は何か/コロナ禍乗り越え今秋各地で上演

精神科医で劇作家のくるみざわしんさんとは、2018年に東京都内のイベントで知り合い、以来、OUTBACKアクターズスクールやKPの催しに何度も協力してもらいました。2021年8月のKP設立1周年記念イベントでは、くるみざわさん作の2時間に及ぶ演劇「精神病院つばき荘」を上演することができました。

このイベントを開催した時期は、コロナ禍の真っただ中。緊急事態宣言が発令され、東京オリンピックは無観客で行われていました。こんな時に会場に人を入れて感染者が出たら、マスコミや「自粛警察」から徹底的に叩かれかねなかった時期です。

人によっては感染すると死ぬこともある新型ウイルスですから、拡大を防ごうとする姿勢は大事です。しかし、過度の恐怖をひたすら煽り立てるマスコミや、医療至上主義のデタラメ私見を押し付けて、生活や経済の混乱には目もくれない専門家とやらには、私自身、辟易していました。

自粛の嵐は文化活動にも大損害を与えました。2018年暮れに東京・新宿で初演され、以後、各地で上演が続いていた「精神病院つばき荘」も、2020年から公演中止が続きました。しかし、緊急事態宣言下でも、人を集めるイベントが全て禁じられたわけではありません。入場者を絞り、可能な限りの感染防止対策を行えば、開催は可能だったのです。

自粛警察を恐れて、何もせずにいてよいのだろうか。こんな時こそ、会場でナマの演劇を見る機会を提供するべきではないだろうか。それは観客だけでなく、演じる役者たちの支援にもなる。私はそう考えました。くるみざわさんと3人の俳優は、緊急事態宣言下での演劇公演という私の提案を受け入れてくれました。そして、横浜・桜木町のホール300席を半分に絞った1年10か月ぶりの公演は満員となり、大成功に終わりました。

最初にこんな話を書いたのは、コロナ禍に伴うヒステリックな世論と、精神疾患の人たちを取り巻くヒステリックな世論との間に、共通性を感じるからです。コロナ禍の場当たり的な行動制限やワクチン絶対視は今後、批判的に検証されると思いますが、精神疾患を持つ人に対する長年の隔離収容政策なども、先ごろの国連の勧告(障害者権利条約に基づく総括所見)などを受けて厳しく検証される必要があります。

「精神病院つばき荘」は、日本社会から切り捨てられ、隔離された人々がベッドを埋める精神病院の暗部を描いています。登場人物は男性患者、院長、看護師の3人。劇が進むにつれて、彼らの心の軋みや日本社会の歪みが露わになっていきます。

「この病院は注射の上手な人から辞めてゆきますな」

入院生活が40年に及ぶ男性患者・高木(川口龍)のそんなセリフから、劇は始まります。高木は、ずいぶん前から精神症状が治まっているのに、地域に住める場所がなく、退院できない典型的な「社会的入院患者」です。高木のような患者は、病院にとって何もせずとも金が入る優良収入源なので、退院支援はせず、「生かさず殺さず」の対応を続けています。

診察室で高木と向き合う院長・山上(土屋良太)は、高木の指摘に返す言葉がありません。高木は上着の左の袖をめくり上げ、下手な注射で生じた7か所の青あざを見せながら、良い看護師ほど辞めていく理由を追及し始めます。

高木の冒頭のセリフは創作ではありません。くるみざわさんが以前に働いていた精神病院で、男性患者が実際に発した言葉です。

「私がいた病院は、金儲けのために過剰な血液検査を毎月行うようなところで、看護師の技量は総じて低かった。男性患者の言葉は、最初はピンときませんでしたが、心の何処かにずっと引っかかっていました。そして後年、精神病院の歪みを象徴する言葉だと気付いたんです」

劇中、つばき荘では避難計画などの原発事故対策を巡り、内部に深刻な亀裂が生じます。理事長ら経営者は、地方財界でつながりのある電力業界との関係悪化を避けるため、「反原発」と疑われるような事故対策づくりには消極的です。しかし、患者の避難計画策定を求める声が職員の一部から上がり、対立が強まります。高木と山上もこれに巻き込まれていきます。

精神医療問題がテーマの物語に、なぜ原発問題を絡めたのでしょうか。くるみざわさんは「2つの問題に共通性を感じたから」と語ります。

長野県生まれのくるみざわさんは、大学では工学部に進学しましたが、「本当は工学よりも人間に強い興味があった。でも、人間を突き詰めて考えるのが怖くて避けてしまいました」と振り返ります。ところが在学中の1986年4月26日、ソ連のチェルノブイリ原発4号炉が爆発。就職を考えていた日立や東芝など大企業のほとんどが原子力産業の一員だと知り、進路を変えます。人間と密接に関われる医学部に入り直し、今度は迷うことなく精神科医の道に進みました。

阪神大震災直後の神戸大学で研修医を務めた後、経験を積むため、精神病院に長く勤務しました。そこでは患者の話をよく聞き、過剰な投薬は避けることを心掛けました。「自分なりに適切な医療を提供しているつもり」でした2011年3月11日までは。

その日発生した東日本大震災によって、福島では原発事故が引き起こされました。放射線に晒され、故郷を追われる人々の姿をニュースで見るうちに、くるみざわさんは猛烈な後悔の念に襲われました。原発の危険性をずっと感じながらも、何もしなかった自分の不甲斐なさが頭をもたげたからです。

くるみざわさんは気付きました。原発と同様に国策で生まれ、強制入院や社会的入院の患者があふれる精神病院に身を置きながら、肝心なことは何もしていなかったことを。過剰な身体拘束や隔離が身の回りで頻繁に行われていたのに、見て見ぬふりをし続けてきたことを。「医療」の名のもとで、明らかな人権侵害に蓋をしてきたことを。テレビに映る原発御用学者たちの顔が、自分の顔と重なりました。

福島県大熊町の精神病院・双葉病院の入院患者ら44人が、避難中のバスや搬送先で死亡したというニュースも、くるみざわさんに衝撃を与えました。その一方で、双葉病院などに長年閉じ込められていた社会的入院患者の中には、避難をきっかけに退院でき、「よかった」と漏らす人もいました。原発事故は、この国の隔離収容政策の異常性までも露骨に浮かび上がらせたのです。

「何とかしたい。今度こそ動かなければ……」

大学生の時に演劇と出会い、精神科医をやりながら劇作家としても活動を始めていたくるみざわさんの武器は、脚本づくりでした。そこに思いをぶつけたいと考えたのです。真っ先に頭に浮かんだのが、あの男性患者の言葉でした。そこからイメージが膨らみ、「精神病院つばき荘」の脚本の前半が一気に書きあがりました。

劇では途中から、注射下手な看護師・浅田(近藤結宥花)が加わり、3人の緊迫した会話が続いていきます。この中で最も理知的なのは、皮肉にも患者の高木です。彼の話は筋が通っています。

しかし、高木は山上の希望に反して原発事故対策を求める側に回ったため、当たり前の感情表出を「病状悪化の兆候」と曲解されて、強制隔離になります。こうした曲解による行動制限はフィクションの範疇にとどまらず、現実の精神病院でも日常的に行われています。

劇が終盤に入ると、山上も日々の診療で大きな葛藤を抱えていたことが明らかになります。そして山上は、残りの人生をある作業に捧げる決断をします。つばき荘に閉じ込められ、医療者から「つばき」を浴びせられ、つばき荘で死んでいった名もなき多くの棄民たちと、今度こそ同じ人間として向き合うために……。

この印象的なラストシーンは、精神医療での深刻な人権侵害に薄々気づきながらも、現実から視線を逸らして平気な顔で暮らす我々に向けた刃でもあると、私は感じました。「私たちはとてつもなく大きなものに見放され、見捨てられている」。登場人物全員が口にするその言葉を、ぜひ劇場で受け止めてください。

コロナ禍で公演中止が続いた「精神病院つばき荘」ですが、今年10月から東京、大阪、岡山で待望の公演が続きます。

公演情報は、土屋さん、川口さんを中心とする役者集団トレンブルシアターのWebサイト(https://tremble-theater.jimdosite.com/)をご参照ください。

(「精神病院つばき荘」の内容部分は、2019年10月、講談社・現代ビジネス用に書いた原稿をもとに一部修正しています)

くるみざわさん(中央)と、土屋さん(左)、川口さん(2019年9月、伊東市内)
精神病院つばき荘の一場面(2021年8月、KP設立1周年記念イベント)

(撮影 佐藤光展)