番外編/家族も追い込む宗教依存症/安倍元首相の銃撃要因に/治療拠点の整備を

どんな宗教を信じようが、自由です。しかし、過剰な献金を繰り返して家庭を崩壊させ、子どもまでも不幸にする展開は、「篤い信仰心の賜物」ではありません。このような信者は、適切な治療が必要な「宗教依存症」を患っているのではないでしょうか。

2022年7月8日、奈良市で街頭演説中の安倍晋三元首相を銃撃し、死亡させた山上徹也容疑者の母親は、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)への献金で自己破産したと伝えられています。山上容疑者は、母親のこうした振舞いのために自分は挫折したと感じ、次第に旧統一教会への恨みを募らせていったようです。そして、この教団との関係がささやかれる安倍元首相に銃口を向けたとみられています。母親の病的な行為が、この重大事件の主たる要因になったのです。

いわゆる依存症は、飲酒、ギャンブル、ゲーム、買い物など、様々な物質や行為に関連して起こります。覚せい剤使用などの違法行為以外は、適度であれば問題はなく、ストレス解消にもなります。ところが、はまり過ぎて止まらなくなると、社会生活に著しい支障が生じるため、病気と診断されて治療の対象になります。

アルコール等の物質使用やギャンブル等の行為にはまり過ぎる人と、適度に続けられる人との違いはどこにあるのでしょうか。精神科医の松本俊彦さんの回でふれましたが、それは「どうしようもない生きづらさ」を抱えているか否か、なのだと思います。飲酒やギャンブルなどがリフレッシュのためではなく、もっと根の深い「生きづらさ」から目を逸らすための手段(松本さん曰く「苦痛の緩和」目的)と化すと、依存症に突き進みやすくなります。その行為が周囲にも苦痛を与え、苦痛の連鎖でますます追い込まれても、目を逸らして依存行為にすがり、さらに転落していきます。

このような渦中にある人に、助言をしてもなかなか通じませんが、心中では悲鳴を上げています。そこに粘り強く働きかけると、専門医療機関や自助グループの支援を受ける気持ちに変わっていきます。ところが宗教に関しては、「触らぬ神に祟りなし」と多くの人が思っているためか、宗教依存症はあまり話題になりません。ですが、山上家のようなケースは他にも沢山あります。

一部の人に依存症を生じさせるからといって、ビール会社や公営ギャンブル、パチンコ店、ゲーム会社などを「潰せ」ということにはなりません。とはいえ、依存症を防ぐための業界の自主規制や行政の努力は必要です。宗教団体も、信仰心と依存を混同しているような信者に対しては、注意を呼び掛ける必要があるのではないでしょうか。信者の依存症を放置して集金のために悪用するなど、言語道断です。

宗教団体の中には、メンタル不調に悩む人をターゲットに高い品物を売りつけたり、日々の“儀式”を怠ると「よくないことが起こる」と脅したりする組織もあります。そのせいで、複数の通院患者の症状が悪化したことに悩んだある精神科医は、患者たちの家を訪問して宗教関連の品物を破壊し、金銭的負担や心理的負担から解放して回復させました。報復として、この精神科医は信者からリアル集団ストーカーを受けたそうですが、身を挺して患者を守る姿は日本のSPも見習うべきであり、精神科医の鑑です。

様々な宗教団体が政治に深く食い込んでいるので、今後も宗教はアンタッチャブルのままかもしれません。ですがせめて、ギャンブル依存症などと同様に、宗教依存症の治療拠点を各地につくる対策を打ち出すべきではないでしょうか。宗教依存の親から信仰を強要される子どもたちのサポートも必要です。

尊い信仰心によって、道端のお地蔵さんも元気です。しかし、信仰心を悪用して私腹を肥やす宗教(カルト)団体もあります。