精神科医・張賢徳さんの「うつに殺されないために」③/自殺のほとんどは「精神疾患が関与」と判明/若者の死が深刻なのに国の剖検はストップ

日本初の本格的な心理学的剖検にチャレンジし、遺族への協力依頼にこぎつけた精神科医の張賢徳さん。調査対象とした自殺93例(男性54人、女性39人)の遺族の中には、連絡先不明、転居、手紙や電話に応答なし、等で連絡がつかない人もいました。プライバシー保護のため、最初に接触する遺族は最近親者(故人が独身であれば親、既婚者であれば配偶者、配偶者と離別していれば子または親)か、それに準じる近親者と決め、最終的に連絡が取れたのは54例でした。

54例中、面接調査の協力を得られたのは25例。協力率は46%でした。欧米での同様の調査の協力率は90%以上なので、日本の低さが際立ちます。日本は欧米よりも自殺に対して寛容な傾向がみられるのに、実際に自殺が身の回りで起こると、隠そうとする傾向が強いようです。原因究明に力を注ぐか、できるだけうやむやにして忘れるか、文化の違いが表れているのかもしれません。

張さんの調査では、協力率は自殺発生から1~2年たった頃が最も高く、それ以上たつと低下することもわかりました。「1周忌というのが、心理的なひとつの節目になっていると考えられる」と張さんは指摘します。しかし、自殺から2年以上経つと、「やっと落ち着いてきたところなので、そっとしておいて欲しい」と断られることもあったと言います。

対象93例のうち、51例(55%)には精神科受診歴があり、43例(46%)は治療継続中の状態でした。自殺前1か月以内に、少なくとも24例(26%)が精神科を受診していたこともわかりました。また、監察医務院の記録の中に、警察が聞き取った遺族の話などが詳しく記され、そこから精神科診断がつく例もありました。しかし、詳しい記録がない人もいるので、遺族面接で詳細を聞き取り、精神疾患の有無や原因を探っていったのです。

張さんは、細心の注意を払って遺族面接を行ったため、2年後に実施した追跡調査(臨床心理士による電話調査。遺族の本心を聞くため張さんはあえて行わなかった)で、面接を受けたことが「よくなかった」と答えた人は6%にとどまりました。50%は、「(受けて)よかった」「まあ、よかった」と肯定的に捉えていました。

自殺者が精神疾患だったか否かを判断する診断基準は、当時使われていた米国精神医学会作成のDSM-3-Rを使用。ただし、これは本人との面接を想定して作られた診断基準なので、家族面接用の診断基準(ロビンスらが作った基準の家族面接版FH-RDC)も取り入れて判断したとのことです。

こうした調査法について、「家族の話だけで診断するなんて乱暴すぎる。結果は信用できない」と思う人もいるでしょう。ですが、精神疾患の診断の多くは今でも、本人や家族の話を聞くだけで行います。血液や画像などの検査法がないからです。本人が目の前にいるのに無視して、家族の話だけで診断する精神科医は間違いなくヤブ医者ですが、自殺の調査では本人がもういないのですから、遺族から詳細に話を聞くしかないのです。こうした聞き取りでは、遺族が症状を見落としていないか、あるいは逆に、症状を強調し過ぎていないか、などに注意しながら判断していきます。

張さんは著書「人はなぜ自殺するのか─心理学的剖検調査から見えてくるもの」(勉誠出版)に、心理学的剖検の信用性について次のように書いています。(調査の詳細を詳しく説明しても)それでもなお『信用できない』と言う人に対しては、『そうすると、精神医学そのものが成り立たなくなりますよ』とお答えするしかない」

張さんの心理学的剖検で判明した自殺者の精神疾患の割合は、欧米と同様になりました。自殺者の89%(93例中83例)が、自殺時には精神疾患と診断できる状態だったのです。精神疾患がないのに自殺に至った「理性的な自殺」とみられる人は、2人(2%)だけでした。この点でも、欧米と変わらなかったのです。

精神疾患の内訳は、(双極性障害や気分変調症などを含む)うつ病圏43人(45%)、アルコール・薬物乱用/依存3人(3%)、統合失調症24人(26%)、その他(ステロイド精神病・適応障害・解離性障害)3人(3%)。アルコール・薬物乱用/依存の割合は、有病率の違いを反映しているのか、欧米の調査よりもかなり低くなりました。一方、統合失調症の割合は欧米よりも高くなっていました。統合失調症の人たちの日本での生きづらさが数値に表れたのかもしれません。

情報不足のため、確定的な診断を下せなかった18人(19%)の中にも、監察医務院の記録などから、うつ病圏と推定される人が7人(8%)、アルコール・薬物乱用/依存が推定される人が2人(2%)、適応障害が推定される人が1人(1%)いました。

この結果について張さんは「精神障害を有することがすなわち理性を失っているとは言い切れないが、精神障害が何らかの形で自殺に至る過程に関与していることは、洋の東西を問わず同じであろうと考えられる。少なくとも、精神障害の関与が全くないような〈意志的な死〉が日本に多いことはなかった」と結論付けました。

この調査と、2年後の追跡調査によって、遺族の苦悩や葛藤も浮かび上がりました。遺族に生じる抑うつなどの多くは正常な悲嘆反応で、時間の経過とともに治まっていきますが、中にはPTSDに陥ったとみられる遺族もいました。「こころのケア」の押し売りは迷惑ですが、適切なサポートが必要なのに得られていない遺族が少なくないことがわかったのです。

張さんが先鞭をつけた心理学的剖検は、2007年の自殺総合対策大綱(以後、5年を目途に見直し)の中でも重視され、国立精神神経医療研究センターなどの研究チームが同年から実施した対象100人超の心理学的剖検などにつながりました。そして同センターの調査でも、精神疾患があるとみられる自殺者の割合が極めて高いとわかったのです。

上記のような経験や知見を踏まえて、張さんは近年の講演でこう伝えています。

「自殺予防を考えるためには、自殺の入口となるネガティブなライフイベントと、自殺するまでの間の中身を考えることが大事です。倒産の憂き目にあった社長が全員自殺するわけではありません。どんな人が自殺の方向に進むのか、ということを考えないといけないのです。そこで、自殺者の生前の状況を詳しく調べる心理学的剖検が必要になります」

「自殺に至る過程では、リストラ、借金、離婚、病気などのネガティブなライフイベントがまずあって、適切なサポートを得られないまま精神的に追い込まれていく。最終的な段階では、多くの人が精神科の診断がつく状態になって、自殺プロセスが加速されていく。心理学的剖検調査の経験などから、私はそのように考えています」

「既に統合失調症やパーソナリティー障害などの精神疾患がある人も、こうした過程を進んでいくと、多くがうつ病やうつ状態を併せ持つようになります。うつの恐ろしいところは、マイナス思考が非常に強くなったり、心の視野狭窄と言われるような状態になったりすることです。その結果、他の選択肢が冷静に考えられなくなって、『もう駄目だ』『死ぬしかない』という心理状態に陥り、自殺のプロセスが加速されてしまうのです」

「重傷で病院に運び込まれた自殺未遂者を対象とした日本の調査では、適応障害の診断がつく人が約2割に上っていました。これは海外の割合よりもかなり高く、日本人は軽いうつ状態でも自殺しやすいことを示しています。文化的な背景から、自殺に対する心のハードル、心理的な閾値が低いことが影響しているのではないかと考えます」

もし、自殺の多くが「理性的な自殺」であるならば、それは自ら選んだ「自死」であり、最終的には自分で決めたことなので、第三者は「仕方がない」と受け止めがちです。ところが、張さんや国立精神神経医療研究センターの調査で分かったように、自殺者の多くはうつ病を中心とした精神疾患によって、「自殺させられている」蓋然性が高いのです。だから張さんは強調します。「うつ病などの精神的な変調が介在する自殺行動は、絶対的に予防や治療の対象になります。だからこそ、自殺は止めないといけないのです」。

ただし、自殺者の多くは精神科受診歴があることからもわかるように、自殺対策を精神科に丸投げするだけではうまくいきません。日本の自殺者数が年間3万人を超えた21世紀初頭、うつ病の早期発見、早期治療は、自殺対策としても有効だと考えられるようになり、早期の精神科受診が推奨されるようになりました。そして、同時期に過熱した製薬会社主導のうつ病キャンペーンの影響もあって、SSRIを中心とした抗うつ薬の処方数が急増。ところが、年間自殺者数は高止まりを続けました。うつ病は、抗うつ薬だけであっさり治るものではないからです。

私はこの時期、精神科でベンゾジアゼピンや抗うつ薬を不適切に処方され、抑えが効かなくなって衝動的に自殺したとみられるケースを多く取材し、記事にしました。うつを改善させるためのSSRIなのに、人によってはハイになり過ぎて自殺行動につながることが分かってきたのです。自殺の一部は、精神医療によって明らかに誘発されていました。そのため今では、ベンゾも抗うつ薬も、慎重な処方が呼びかけられるようになりました。

「精神科に頼るだけでは自殺を減らせない」。そう気付いた人たちが動き出しました。声掛け、傾聴、精神科以外の相談機関(家庭問題や経済問題などの相談窓口)の紹介、なども行うゲートキーパー養成など、地域の総力を挙げて自殺を防ぐ仕組みづくりが始まりました。その結果、2010年代は年間自殺者数が減少し続けることになったのです。

ところが、コロナ禍がこの減少の流れに待ったをかけました。孤立を強いられる生活や経済活動の制限などで、うつ状態の人が世界的に急増する中、日本の年間自殺者数は2020年、上昇に転じました。女性や若者の自殺が増えたためです。2021年も、女性の自殺者数は増加が続きました。

10代後半や20代の死因の1位が自殺という、先進7か国では他にない嘆かわしい事態も続いています。なぜこんなことになっているのか。どうしたら防げるのか。今こそ、最新の心理学的剖検が必要なのに、国立精神神経医療研究センターの長期的な調査は、2016年を最後にストップしたままです。2017年に2度目の見直しが行われた自殺総合対策大綱(第3次)の中から、「実態解明のための調査の実施」という項目や、その中にあった「心理学的剖検」の記述が消えてしまったためです。

若者や女性の自殺が深刻さを増しているのに、この国はどういうわけか、自殺の背景を探るのに最も有効な調査手法を放棄してしまったのです。これは愚の骨頂であり、若者の命を軽視する社会に明るい未来はありません。心理学的剖検の早急な復活が求められます。

(続く)

KP講演会で自殺の実態を語る張賢徳さん(2022年2月、横浜市内 佐藤光展撮影)