ヒトはなぜ「差別」してしまうのだろう/知的障害の人たちが教えてくれた「つながり」の意味

みなさん、こんにピア!!

周囲の誰かを自分よりも下にみて、優越感に浸る。そうした心の動きは誰にでもあるはずです。それをはっきり自覚すると自分の小ささが嫌になりますが、なかなか捨て去ることができません。

20代の時から「統合失調症」と診断されてきたガンジー友蔵さんも、最近、自分とは違う障害を持つ人に「優越感」や「差別心」を抱いてしまったそうです。その感情とどのように向き合い、どのように乗り越えたのでしょうか。

差別とプライド

               ガンジー友蔵

私は精神障害者です。世間の目を、近所の目を、親戚の目を、ずっと恐れて生きてきました。

障害がバレたらどういう扱いを受けるのか。差別的な目をされるのではないか。そう考えると恐ろしくて、「一般社会」では友達との深い付き合いも恋愛も出来ずにいました。

その結果、福祉施設や病院、そういう狭い世界で生きることになりました。そこで初めて、友達付き合いや恋愛を経験しました。お互いが障害を持っているので、負い目を感じずに済むからできたことだと思います。

私は差別されることを恐れています。そして常に、自分は「被害者だ」という意識があります。だから福祉の世界に救いを求めたのですが、そこにも差別はありました。

「〇〇さんは凄くたくさん薬を飲んでいるらしい」「あそこは生活保護家庭らしい」などの言葉をよく耳にしました。その言葉の中に「差別」や「優越感」のにおいを感じました。

病状の重いメンバーに、まるで子どもにでも接するような態度を取る職員もいました。私は憤りを感じました。いくら病状が重くても人生の先輩なのだから、敬意を払おうよ、と思っていました。

今の福祉施設へ来て、2年が経ちます。精神だけでなく、知的、身体、発達、いろいろな障害のメンバーがいます。初めはどう接したらいいのか分かりませんでした。職員にも相談に乗ってもらっていました。慣れてくると、知的障害やダウン症のメンバーとも仲良くなりました。

今年の初め、知的障害のメンバーとコンビニへ行きました。そのメンバーは支払いに困っていました。店員は私に話しかけてきました。施設の職員だと思ったのでしょう。店員と話しながら、私は優越感を感じていました。

以前、妹の誕生日にケーキを買った事があります。その時、店員に「ローソクは何本付けますか?」と聞かれました。お父さんに見えたようでした。私は気分が良かったです。お父さんのフリをして、かなり少ない数のローソクをもらいました。社会人経験や、家庭を持った事がない私は、嬉しかったです。そしてコンビニでも、職員のフリをしました。ひと時の優越感でした。その時に思いました。私は知的障害者に対して、差別意識があるのではないかと。

それから程なくして、同じ福祉施設の利用者や職員から誕生日カードをもらいました。メッセージのひとつに「ぬり絵組とも仲良くしてね」と書いてありました。ぬり絵組とはこの施設で使われている言葉で、1日の多くを、ぬり絵をして楽しんでいる知的障害者グループのことを指します。

私は意識していませんでしたが、言われてみれば確かに、知的障害のメンバーとは一部の人としかコミュニケーションを取っていませんでした。そこで、何とかコミュニケーションを取ってみようと、普段話さないメンバーに声をかけたりしました。でも、うまくいきませんでした。

どうしたら、ぬり絵組と仲良く出来るのだろうと考えました。そこで思いついたのが、一緒にぬり絵をすることです。しかし、戸惑いや恐れも感じました。ぬり絵をするのは、清掃や配達などの作業が出来ない知的障害のメンバーがすることだと、無意識に思っていた自分に気付いたからです。仕事が出来ると言われたい、思われたい。いつか、一般社会で働きたいと思っていた私には、凝り固まったプライドがあることを思い知らされました。

それでも、ぬり絵の本を買いました。知的障害のメンバーと一緒にぬり絵をしました。私にとっては、とても勇気のいる事でした。周りからどう見られるかばかり気にしていました。でも、続けるうちにすごく楽しくなってきました。

ふと気付くと、ぬり絵組に同化していました。意識しなくても自然とコミュニケーションが取れてきました。そして不思議な事が起こりました。ぬり絵をしたら、周りから見下されるとばかり思っていたのですが、メンバーも職員もとても好意的に接してくれたのです。

ダウン症の女の子が、私の頭を撫で、頭にチュ、チュ、とキスをしてくれました。私の凝り固まったプライドが溶けていくのを感じました。それまで、いつも調子が悪く、福祉施設を休んでばかりいたのですが、体調が良くなりました。職員にもメンバーにも、「調子が良くなったね」と言われました。「一般社会」や「健常者」という概念が消えて行くのを感じました。

今春、私が通う福祉施設でピアスタッフをしていた男性が、政治の道に進むため仕事を辞めました。自分の障害をオープンにして、いずれは国会議員を目指すのだそうです。私は勇気をもらいました。精神障害者が国を変える。「俺は精神障害者だ。何か文句あるか」。その職員の声が聞こえます。私も親戚、近所、学生時代の友人に言いたいです。「何か文句あるか」。

差別があったとしても、結局、恐怖は自分が感じているだけのものだと思いました。今日も、知的障害の男の子が背中に抱きついてきました。私に大切な何かを教えてくれます。「一般社会」や「社会人」。そういう世間体を気にせず、今のまま頑張ってみようと思うようになりました。私が本当に求めていること。それは、人とのつながりなのだとわかりました。つながりの中では、障害者も健常者も関係ないように思います。

知的障害の人たちと「ぬり絵」を楽しんでいる友蔵さん(撮影 佐藤光展)