脳性麻痺にも負けない男・五十嵐さんがなぜ「適応障害」に??/メンタルヘルス診断の謎
みなさん、こんにピア!!
編集長の佐藤です。KPメンバーの五十嵐謙さんは、脳性麻痺で身体に重い障害を抱えながらも、横浜市磯子区の福祉事業所シャロームの家に連日通い、事務や清掃などの仕事に励んでいます。精神障害者を不当に差別する地域での抗議活動にも積極的に取り組んでいます。
そんな元気溌剌の五十嵐さんが「適応障害」と診断されていると聞き、「なぜ??」と疑問が湧きあがりました。五十嵐さんが直面している「不適応状態」の大部分は彼のせいではなく、周囲が五十嵐さんに適応できていないためだと思えるからです。そこで今回は、五十嵐さんに「適応障害」をテーマに文章を書いてもらいました。
適応障がいとは~過去・現在・未来~
こんにちは。KPメンバーの五十嵐謙です。今回は私が持っている精神疾患「適応障がい」の経緯と現在の状況について、私自身の考えを述べていきます。
初めに、私が適応障がいになるまでの経緯についてです。私は高校時代に社会福祉(特に障がい者福祉)に興味を持ち、大学時代に社会福祉士を目指し勉強していました。しかし、脳性マヒという障がい特性上、言語不明瞭で自分の話している言葉が相手にうまく伝わらないという理由で、社会福祉士の資格取得に必要な現場実習から外されました。そのため、資格を取れなくなってしまったのです。
実習に行ける友人を羨ましくなり、同時に自分の障がいや卒業後の進路について深く悩むようになりました。すると夜間に、高校時代の壮絶ないじめがフラッシュバックするようになりました。いじめた相手から以前に言われた「死ね」「地獄に落ちろ」などの幻聴が襲ってきて、その度に大声を出してしまいました。
「お前が死ねやボケ‼︎」と言ってじたばたしたり、「障がい認定をした医者を訴えてやる!」と言って、医師の名を叫びながら罵倒したり、「障がい1級を取ったら就職が有利になるようにしてくれ!」など訳の分からないことを家で言ったりするようになりました。そして、親に多大な迷惑をかけ、近所の人からは苦情のチラシを入れられました。
今考えてみると、当時の私は愚かでひどかったと思います。大学病院の精神科に連れて行かれ、様々な検査を受けて、適応障がいであると診断されました。2014年のことです。そして現在も、心療内科に通院しています。高校時代のいじめは、もう二度と思い出したくありません。
次に、現在の生活についてです。2019年8月から磯子区のシャロームの家を利用しています。脳性マヒという重い障害を抱えながらも、事務作業や清掃作業を行っています。職員や利用者のみんな、地域の方々にも支えられ、日々充実した生活を送ることができています。本当にありがたいことです。ただ、私としては、今のシャロームの家は昔と違い、工賃が稼ぎにくいと感じています。私が適応できていないのか、シャロームの家が適応できていないのかわかりません。昔は草刈等の体力系の仕事にも行っていました。体力には自信があるので、機会があればまたやりたいなと思っています。
適応障がいの診断を受けてから、一冊の本に出会いました。大阪府枚方市で精神科医をしている岡田尊司さんの著書「ストレスと適応障害」(幻冬社新書)です。それによると、適応障がいは、ストレスにより心のバランスが崩れてしまった状態であり、ストレスが消えると元の状態に戻るというものです。きっかけとしては、転勤や昇進という生活環境の変化によるものや、対人関係のトラブルが多いと記されています。
本を読んでいて「これは自分にも当てはまるな」という部分が多くあり、納得できました。私は感情のコントロールがうまくできない時が今もあり、ついカッとなったり、怒鳴ったりすることがあるので、それで適応障がいと言われ続けているのかもしれません。
私はこの本に救われたと思っています。「ストレスが消えると元の状態に戻る」と希望が持てたからです。もし今、適応障がいに悩んでいる人がいたら、この本を読んでみてください。
いかがでしたか。五十嵐さんは挫けない男です。脳性麻痺という重い障害にも負けていません。様々なことにチャレンジしています。それなのになぜ、今も「適応障害」なのでしょうか。脳性麻痺の人がその障害ゆえに、健常者至上主義社会に適応できずイライラしていると、ずっと「適応障害」なのでしょうか?
今の五十嵐さんを適応障害とするなら、ありとあらゆる出来事にしょっちゅうキレまくっている私は、はるかに重症な〝適応障害者〟だと思います。メンタルヘルス系の診断は謎だらけです。
それではまた、ケイピー!!

(左端の男性 2020年11月、横浜市都筑区で 佐藤光展撮影)