「不安」は必要なのかも/ガンジー友蔵が考えてみた

みなさん、こんにピア!!

KPめんちゃれ探偵のガンジー友蔵です。2022年は不安の少ない1年になるといいですね。でも、不安という感情が全くなくなったら、味気ない人生になるかもしれません。そこで、不安について考えてみました。

私は、不安は何かのサインなのだと思っています。不安がなければ、人は動かなくなるのではないでしょうか。ありすぎるからいけないのだと思います。

動かなくてはならない時、仕事でいえば締め切りが近い時、不安がなければ焦りも感じず仕事をしようとしません。不安は一つの判断材料になるのだと思います。行動の基準になっているのだと思っています。
 
私が高校受験を控えていた頃、危機感をまったく感じていませんでした。毎日、放課後に校庭でサッカーをして遊んでいました。心配した父が先生に「お前は落ちるかもしれないぞ」と脅かして欲しいと頼み、私はやっと勉強するようになりました。
 
私はその後、大学生の時に精神疾患を発症して、今は不安障害もあります。確かに辛いです。でも、この障害がなければどうなっていたか逆に恐いです。

F1のレーサーはスピードを出すのが恐いそうです。他のレーサーもそうだからこそ、安心してスピードを出せるのだそうです。スピードを出すことにまったく恐怖を感じないレーサーが混じっていたら、逆に恐いそうです。私は慢性的に不安です。私のもともとの自信過剰な性格を考えると、このくらいの不安を感じて丁度いいのかも知れません。キツいですが。
 
不安障害と診断されると、不安を薬で減らすというやり方が基本になりますが、本当は必要以上に薬はいらないと思います。友人、仲間が出来たり、仕事や趣味などにやりがいを感じた時に、不安は減ります。無くなる時もあります。もともとメンタルな問題なので、薬という物質で解決しようとしても限界があるのかもしれません。
 
不安は頭で考えてもあまり解決しないです。体を動かす、行動する、ということが大事だと思います。小さな事からで良いと思っています。私の場合、部屋を片付ける、皿洗いをする、福祉施設を休まないようにする。そんなところから、道が開けるような気がします。

イラスト・小泉零也