娘の訴えは病気なのか嘘なのか?/悩む母親にピアのボランティアが対応/ピアとしての使命を知る

はじめまして。KPで電話相談ボランティアをしているプシコです。ピアとしての体験と、看護師の職歴を生かして活動しています。先日、次のような相談がありました。

「うちの娘はリスパダールを眠前に3mg処方されています。しかし眠れず、勝手に5mgにしてしまい、それでも『まだ眠れなくて辛い』と言います。見た目にはグウグウいびきをかいて寝ているし、主治医に言っても『3mgで眠れないわけがない』と言います。本人は『辛い』としか言わないので、理解できない日々が何年も続いています。娘を信じられなくなっているのが本音です。どうしたらよいでしょうか」

私は、自分の不眠症などの経験をもとに考えてみました。

不眠症を患っている人たちが願うのは、「おやすみ」と言った時に体と心が同時に「休まる」ことと、起きた時に「スッキリ」することです。これができないから辛いのです。

「3日寝なかったら眠れる」とか、「10日寝なかったら死ぬ」という人もいますが、深刻な不眠を体験してみれば、これは嘘だとわかります。そして、「どうせ眠れないのなら何か(活動)しよう」と思うのですが、とにかく頭も体も重く、どんよりだるくて叶いません。「時間を無駄にしているのでは」という軽い罪悪感に襲われます。

私も眠れない時、リスパダールを処方されたことがあります。飲んでうつ伏せ状態になると、体をねっとりと重い泥で埋められ、ドロドロの底なし沼に抗えない程の力で沈められている感覚になります。「重いよう、だるいよう」ともがき、息が苦しくなって意識を失い、意識が戻った時に「どうやら寝たらしい」と自覚するイメージです。確かに体は休息が取れているのかもしれませんが、スッキリはしません。

グウグウとイビキをかいているのは、眠っているのではなく、「気絶」状態です。起きた後も、まだ体が泥のように半分溶けていて、自分の体ではないような気がします。まだ「固体」に戻った感覚はなく、五感も鈍いです。起床後3〜4時間経つと「固体」に戻ります。

そのような状態は、「辛い」以外に言葉が見つからないし、別の言葉を探す気力もないです。「不眠」と「寝不足」は違います。前者は、意識があっても頭がスポンジのようになって、言葉や情報を何もキャッチできなくなる時間が長いです。後者は寝れば直ります。

同じ「辛い」でも、気持ちの辛さ、薬による辛さ、病状による辛さ、という違いもあります。特に、薬の「辛さ」は種類によって全然違います。下痢の時の腹痛と、便秘の時の腹痛が違うのと似ています。

患者としては、勝手ながら「辛い」の違いを察して欲しいと思うのです。特にいつも一緒にいる親や、病気のことなら何でも分かる顔をしている主治医なら、理解して欲しいと願います。でも、叶いません。

伝わらないもどかしさと、味方を失った孤独感は、患者の口を余計に重くします。そして心を閉ざしてしまうけれど、言いたくて仕方がないというアンビバレントな感情になっていることも多いです。しかし、本音はシンプルで、「そうか、辛いのね」の寄り添いの一言が欲しいだけ。一緒にお茶をしてくれるだけで楽になったりします。

それでは、母親はどのように考えたのでしょうか。私は「当事者の家族」ではないので、その心境をできるだけ詳しく聞きました。母親の話を要約すると、次のようになります。

「母親の私に不眠経験はありませんが、苦しんでいる娘を救いたくて、答えを急ぎました。その結果、さっぱり理解できない娘の言葉よりも、医学に基づいて『それっぽく』論理的に聞こえる主治医の言葉に傾きました」

「私には『主治医の出す薬を飲めば治る』という思いがありました。それだけでなく、心配事や悩み事があるのではないかと声をかけたり、一緒に何かやろうと勧めたりもしました。しかし、「今は辛いから嫌だ」といつも返されました。日中に動いていないから眠くならないのではないか。私も辛いことはあるのに我慢して働いているぞ。娘はサボり?甘え?気を引きたいだけの嘘?不信感が募り、娘を恨みはじめた頃、追い打ちをかけるように『ママに私の辛さなんてわからない!』と怒鳴られました。

「娘の気持ちを察することができない無力さに我慢が出来ず、娘との距離を詰めました。それでも答えを引き出せず、子どもが回復した方と自分との接し方の違いに悩みました。やがて、『いかにも辛そうな演技をする子ども』に育ててしまった自責感に苛まれるようになり、見えない出口をあえて探さないようにしてきました。でも、やはり何かしなければと思って、こちらに相談しました」

母親には、先に書いたような私の経験を伝えました。もちろん、娘さんと私は別の人間ですが、母親は「あなたの体験と娘の様子はそっくりです。娘は本当に辛いのですね。何年も続き、こちらも疲れて娘を信じることを諦め、聞き流すだけになっていました。娘に申し訳ない」と涙されました。

私は、ピアとして娘さんの「代弁をした」のではなく、「私はこうでした」という表現に徹しました。それが本当の「答え」ではなくても、詰んでしまったかのように見える状態に新たな選択肢を差し出すことができると知り、私自身のピアとしての使命を感じました。