「障害」とはなんだろう?/養成ギプスを付けて生きる
みなさん、こんにピア!!
パラリンピックの感動が冷めやらぬ中、「トリカゴ」のガンジー友蔵さんが再び文章を書いてくれました。「障害」とは何なのだろう。友蔵さんと共に、みなさんも考えてみてください。
養成ギプス
ガンジー友蔵
私は障害という言葉は嫌いですが、もしかしたら障害というのはすごいものかも知れないと、パラリンピックを観て思いました。
よく、「ハンディキャップ」と言います。人生を生きて行く上で、腰にロープを巻いて、タイヤを引きずっているようなものではないかと思いました。
「巨人の星」というアニメの主人公が体を鍛えるために、体に巻き付けていた大リーグボール養成ギプスのようなものではないかと。ものすごくメンタル面が鍛えられているのではないかと思いました。
それでも、私は障害から逃げようとばかりしています。どうやったら養成ギプスを脱げるのかと。でも最近は、もう養成ギプスを付けながら生きて行くしかないと思うようになって来ました。
私は本をよく読みます。問題を解決する答えがないかと探します。そういう中で、たまたまテレビのニュースを見たら、有名なメンタリストの問題発言が話題になっていました。生活保護の人は邪魔で、猫のほうがマシだというのです。彼は、大きな批判を受けて謝罪しましたが、過ちを繰り返さないために「もっと本や論文を読まなければ」と言っていました。これまでも本をたくさん読んできたはずなのに。
私は違和感を抱きました。本を読むことは良いことだと思っていた私は、自分が間違ったことをしてきたのではないかと思ったのです。
福祉施設を長く休んだ後に通所した時、メンバーたちの雰囲気が変わっているのを感じました。私が気まずい思いをしていたら、ある若いメンバーが声をかけてくれました。冗談を言っていましたが、おかげで私は体調が良くなりました。その事が、私にとっての何かのヒントのように感じました。
福祉施設を休んでも、毎朝、「おはよう」とラインをくれるそのメンバーの存在が、今の私の支えです。私と福祉施設をつないでくれています。また福祉施設に通おう、という気にさせてくれます。
そのメンバーは知的障害を持っていますが、あいさつをしてくれるだけで、私は嬉しくなります。「人とつながりを持ちたいんだ」「つながりこそが大事なんだ」という事を、そのメンバーは教えてくれます。
きっと、私よりも重い養成ギブスを付けているに違いない、そのメンバーが。
友蔵さんには、これからも寄稿してもらおうと思っています。
それではまた、ケイピー!!

