笠陽一郎さんの「波乱万丈の精神科医人生」①/多数の子ども救った精神科セカンドオピニオン

愛媛県松山市に住む精神科医の笠陽一郎さんと初めて会ったのは、もう13年も前のことになります。当時、私が働いていた読売新聞東京本社の医療部に届いた笠さんの本「精神科セカンドオピニオン─正しい診断と処方を求めて─」(シーニュ)を何気なく手に取ったことが、出会いのきっかけでした。幸か不幸か、私はその日を境に精神医療の底なし沼に引きずり込まれてしまったのです。

患者や家族の体験談を中心としたその本の感想を一言で表現すると、「ウソだろ」でした。何でもかんでも統合失調症にしてしまう誤診の嵐、子どもに対しても「死ね」と言わんばかりの大量投薬、嘘八百を重ねてミスを認めない精神科医たち……。そのおぞましい内容に圧倒されて、「フィクションではないか」と思ってしまったのです。

私は高校生の頃、大熊一夫さんの「ルポ 精神病棟」(朝日新聞出版)を読んで衝撃を受けました。そして、こんなひどいことを平然とやる奴らを告発する仕事がしたい、と考えるようになりました。それと同時に、「今はここまでひどいことはないだろう」「こんな滅茶苦茶な時代に新聞記者をやれた大熊さんがうらやましい」とも思ったのでした。「昔より今は良くなっているはずだ」という根拠のない幻想に、以前のおめでたい私は囚われていたのです。

本を手に松山に飛び、当時は味酒心療内科にいた笠さんと対面しました。開口一番、笠さんは言いました。「佐藤さんはきっと、この本の内容はウソだと思っているのでしょう」。さすが精神科医、図星です。

「ここに登場する人たちをいくらでも紹介しますから、直接会って話を聞き、カルテでもなんでも見て判断してください」

時間をかけて各地を回り、本人や家族、医療機関などの取材を続けました。そして「間違いない。事実だ」と確信した私は、朝刊連載「医療ルネサンス」で2008年暮れに特集を組み、これが大反響を集めました。このあたりの話は、「精神医療ダークサイド」(講談社現代新書)などに詳しくまとめてあります。

この当時、笠さんは精神科診療に関する無料相談電話を開設し、クリニックでの診療後、鳴りやまぬガラケーを手に対応していました。中でも特に深刻だったのが、子どもについての相談です。東京都世田谷区にあった都立梅ヶ丘病院(現在は閉院)などでは、不登校などの子どもたちが次々と薬漬けになっていました。子どもの状態は悪くなるばかりで、不信感を募らせた親たちが子どもを連れて、松山にやって来ることがよくありました。そして笠さんのアドバイスで減薬や薬の置き換えを行い、環境調整なども行って、ピンチを脱していきました。こうした子どもたちが、もし薬漬け医療機関にかかり続けていたら、今ごろは医原病による「精神障害者」になっていたかもしれません。

「この当時に関わった子どもたちの中には、その後、医療職を選んだ人が多くいます。医師になった人も、看護師になった人もいますよ」と、笠さんは嬉しそうに語ります。

「僕も、セカンドオピニオンを始めた頃は、従来の精神医療の考え方から抜け出せていませんでした。自分の診療に自信満々で、『薬の適切な使い方を教えてあげよう』くらいに思っていたんです。でもセカンドオピニオンを続けるうちに、自分が学んできた精神医療の考え方が間違っていることや、とんでもないことが日本各地で起こっていることに気づかされました。そして、勉強熱心な患者さんやご家族から多くを学ばせてもらったんです」

今年7月、笠さんと5年ぶりに再会しました。一時期、持病の悪化で診察もできないことがあったのですが、今春には74歳にしてブログを再開し、5年前よりも元気になったように見えました。

笠さんの魅力は、多発する誤診の告発や、「発達障害の2次障害」などの考え方を広めた精神科セカンドオピニオンの活動だけではありません。実に魅力的でドラマチックな精神科医人生なのです。今回改めて、昔の話をじっくり聞くことができましたので、紹介していきます。

(続く)

患者や家族からもらった大好きなクジラグッズが溢れる診察室で、相談の電話を受ける笠陽一郎さん(松山市のしいのき心療内科 2021年7月22日)