「意思疎通」に難はあっても「意思」はある/やまゆり園事件から5年、脳性麻痺の五十嵐謙さんの思い

津久井やまゆり園事件から5年が経ち、事件発生の7月26日前後には様々な報道がされました。7月25日の神奈川新聞では、関連記事でKPの活動が紹介されました。

植松聖死刑囚は「意思疎通ができない人間は生きる価値がない」として凶行に及びましたが、重い知的障害を抱える人たちにも意思はあります。意思疎通がうまくできないだけです。

脳性麻痺の影響で、言葉を流暢に喋れないKPメンバー五十嵐謙さんも、この日を複雑な思いで迎えました。心境を文章にまとめてもらいました。

こんにちは。KP神奈川精神医療人権センターの五十嵐謙です。

「意思疎通ができない障がい者は不幸を作ることしかできない。生きる価値がない」。2016年、植松聖死刑囚によって19人の知的障がい者の尊い命が奪われ、日本を震撼させた津久井やまゆり園事件から、今年7月26日で5年が経ちました。今でも胸が痛くなります。

この事件が報道されたとき、私は厚木市の神奈川県総合リハビリテーションセンターに入所していて、職員や他の利用者さんとテレビを見ていました。初めてニュースを見たときは強い憤りと恐怖、そして大きな不安を感じました。「植松聖という男が許せない!意思疎通がうまくできない俺たち障がい者は全員死ねというのか!障がい者やその家族を不幸に陥れたのはお前のほうだ!死刑になれ!」。そう思いました。

私は大学時代に障がい者福祉を学んでいました。社会福祉士を目指しましたが、言語不明瞭で相手とうまく話ができないという理由から、現場実習を外され、諦めざるを得ませんでした。こうした悔しい経験をしてきたこともあり、障がい者も健常者同様、地域社会で生き生きと生活することが望ましいと強く思っています。

そして私は「障がい者でも地域で幸せに生きている人がいるのに、植松は障がい者を不幸の産物として殺してしまった。植松の考え方は優生学的で人権侵害である。私が学んだこととは違う」と考えるようになりました。優生学というのは生物の遺伝構造を操作することで人類の進化を促す社会改革です。ドイツのヒトラー率いるナチスもこの考え方により障がい者を大量虐殺しました。

国民全員が障がい者への差別意識を持っているわけではないと思いたいです。しかし、津久井やまゆり園事件で、障がい者は「不幸をつくることしかできない存在」という間違った認識が一瞬にして全国に広まってしまいました。本当に残念でなりません。しかし、直後からその考えは多くの人により否定され、障がい者も共に生きる社会の一員であることが強く示されたのも事実です。

事件発生から5年経った今でも、植松死刑囚の犯行は許すことができません。私は障がい者が地域社会の中で、障がいを持って生きていくことの大変さ、それでも生きていくことの素晴らしさ、そして生きることの希望を伝えていく役割を持って、共生できる社会になるよう私自身も行動をしていきたいと思います。

横浜市都筑区に立ち並ぶヘイト幟旗の撤去を求めて、周辺住宅に「KP便り」を配る五十嵐謙さん(2020年10月 佐藤光展撮影)
KPの活動が紹介された記事(神奈川新聞2021年7月25日)