長谷川利夫さんの「身体拘束のない日本へ」②/残存する精神科特例を失くしサービス向上を/患者も家族も医療者も声を上げよう
日本の精神科病院の中には、患者を治療で良くするという医療機関として当たり前の努力を怠り、患者を薬漬けや隔離、身体拘束、電気ショックなどで無力化することばかりに熱心な施設もあります。治すのではなく、生気を削ぐ。その方が簡単だからです。
このような病院では、患者たちは重大な犯罪に手を染めたわけではないのに、のしかかるストレスに一時的に心を乱しただけで、刑務所でもやらない激烈な制裁を受けています。こんなことが「医師(精神保健指定医など)の裁量」で行えて、野放しなのですから、精神障害者にとっての日本は、人権もへったくれもない恐怖社会です。
身体拘束には、突然死の危険が伴います。身体を動かせない状態が続くと、血流が滞って血管内に血の塊(血栓)ができやすくなります。特に、脚の静脈にできる血栓は危険で、血管内を移動して肺の動脈を詰まらせると、呼吸困難などで突然死する恐れがあります。これが、エコノミークラス症候群の名で一般にも知られる肺血栓塞栓症です。
身体拘束中の血栓の発生を防ぐために、脚を少しは動かせるようにしたり、弾性ストッキングを使用したりするといった対策が取られます(それすら行わない病院もあります)。しかし、身体の一部を動かせるようにしても、他を縛っているのですから、自由に動ける時よりも血の巡りは悪くなります。縛られたことによる精神的ストレスや、水分を自由に摂れない状況なども、血栓の発生に関係するかもしれません。
2019年に読売新聞が行った調査では、16年1月から18年11月の約3年間に、身体拘束が原因で死亡した可能性がある患者が少なくとも47人にのぼることが明らかとなりました。46道府県の警察本部(警視庁は回答せず)が把握した数を集計した調査で、杏林大学保健学部教授の長谷川利夫さんは、この結果について次のようにコメントしています。
「警察が把握できるのは氷山の一角で、実際は相当な数の死亡者がいると推測できる。死亡との因果関係の特定が難しい場合もあるが、拘束された状況で人が死に至ること自体が深刻な人権侵害だ。国が早急に実態を把握し、防止策を考える必要がある」
2017年5月、ニュージーランド人のケリー・サベジさん(当時27)が、神奈川県内の精神科病院で入院直後から身体拘束を受け、10日後に心肺停止状態に陥って後日死亡した問題は、海外のニュースで大きく報じられました。兄の家で躁状態となり、入院したケリーさんは、病院到着時には落ち着いていました。それなのに、身体拘束が行われたのです。
ケリーさんの死後、カルテ開示を求める家族に対して、病院は最初、院内での閲覧のみでコピーは不可とする不誠実な対応をとりました。批判を浴びて後日、コピー可能となりましたが、重大問題発生時に患者や家族と真摯に向き合うのではなく、逃げたり、誤魔化したり、嫌がらせをしたりする姿勢は、他の精神科病院にも共通します。ケリーさんの突然死問題をきっかけに、長谷川さんは「精神科医療の身体拘束を考える会」を立ち上げ、患者や家族の支援を開始しました。
2016年12月には、入院中に身体拘束を受けた石川県の大畠一也さん(当時40)が、突然死しました。大畠さんは、興奮も抵抗もしていないのに拘束されたとみられるため、家族は長谷川さんらの支援を得て提訴。一審の金沢地裁は「拘束は不合理ではない」などと、精神医療裁判にありがちな、医師の裁量を絶対視した判決を下しましたが、2020年12月、名古屋高裁金沢支部は一審判決を変更し、この身体拘束を「違法」としました。
高裁に正常な感覚を持つ裁判官がいて救われましたが、病院側は上告受理申立てを行いました。そのため、この原稿の作成時点では、高裁判決はまだ確定していません。長谷川さんは「なんでもありの医師の裁量に一定の歯止めをかける判決が出たことは大きい」とみる一方で、「確定するまでは気が抜けない」と語ります。
全国の民間精神科病院を束ねる日本精神科病院協会が、政治や行政に強い影響力を持っていることはよく知られます。身体拘束の急増を受けて行われた厚生労働省の実態調査にも、非協力的な態度を示して圧力をかけるなど、やりたい放題です。実際、厚労省が今年2月に結果を明らかにした隔離・身体拘束に関する調査「精神病床における行動制限に関する検討」の回答率は、19・3%(対象1625病院、回答313病院)に過ぎませんでした。精神科病院の多くは、情報をオープンにして悪い部分は改め、改善につなげようとする姿勢が無きに等しいのです。
とはいえ、この至極当然の高裁判決までが握りつぶされてしまったら、日本の精神科病院のイメージは取り返しがつかないほど悪化し、各病院の経営はますます悪化することになるでしょう。落ち着いている人までも、医師の気分や思い込みで縛ることを肯定する国の精神科病院など、誰も入りたくないし、誰も入れたくないですから。
それにしても、日本ではなぜ身体拘束が乱発されるのでしょうか。おそらく、精神科病院が多過ぎることと、看護師らスタッフが少な過ぎることが深く関係しているのではないでしょうか。
かつて、患者の治療よりも隔離や収容を目的に乱造された日本の精神科病院では、「医師の数が一般病床の3分の1、看護師は4分の3」でよいとした、いわゆる精神科特例の影響が今も残り、安かろう・悪かろうの雑な入院医療が続いています。「人手が足りないから患者を縛る」という理屈は違法であり、受け入れ難いですが、現状はそうなっているのです。
長谷川さんが、医療従事者1407人の回答を得てまとめた調査では、61・3%が「職員が今より多ければ、隔離・身体拘束は現状より減らせる」と回答しました。このような結果を受けて、長谷川さんは次のように訴えています。
「今も残る精神科特例のもとでは、精神疾患の入院患者は質の劣るサービスしか受けられません。この差別的な特例を一刻も早く無くして、一般病床と同等の人員配置になるように、患者も家族も医療者も、もっと声を上げて欲しい」
もっともなことです。患者や家族は、精神科病院で丁寧な治療を受けられるように、医療スタッフの質と数の充実を国などに求めていく必要があります。
そして医療者たちも、身体拘束への批判に対して「私たちも大変なのよ!」とヒステリックに噛みついたり、無視を決め込んだりするだけでなく、その不平不満を業界団体や行政、国にもぶつけて、ご自身の待遇改善を勝ち取っていただきたいと、私は切に願っています。
