病気の只中に現れ、私を救った光のベール/山下洋輔さんのピアノの力で再現
山下洋輔さん&戸松美貴博さんとの奇跡のコラボ公演を裏方として支えただけでなく、出演者として華麗なダンスを披露したみずめさん。山下さんの即興ピアノの力を借りて、きらびやかなファンベールを宙に舞わせたパフォーマンスには、深い意味があったようです。
青い舞から漂う過去のお話
みずめ
本番、6月15日。「山下洋輔×戸松美貴博×ピアーズ」の即興パフォーマンス舞台公演。2月に企画が決まってから、杉田劇場に立つ日が、毎日少しずつ近づいてくるのが私は本当に怖かったです。
舞台の裏方である企画や経理、広報、チケット管理、出演者の調整で、てんやわんやするのは分かっていました。それに加えて、私は出演者としてある挑戦がしたくて、昔の出来事を思い出していました。
12年前、私は病気の真っ只中にいました。
謎の声が聞こえる。実在しない人からストーカー被害を受けている。薬が毒物だと感じる。これらはすべて症状です。今でこそ症状だとわかるのですが、当時は何が何だかさっぱりわからず、ただただ苦しい状況に追い込まれていました。
誰も信じられない。自分さえも怪しい。この世はどこだろう。そんな中、一瞬だけ、光が見えました。家のリビングに居るときです。
あたりがオーロラのような光のベールに包まれ、蛍のような光の玉がキラキラと輝いているのです。私は、これまでにない幻想的な世界にうっとりして、吸い込まれるように、リビングでステップを踏み始めました。
光を追いかけて、駆け寄り、ひらひらと腕を振り、くるくるターンをして、光と遊びました。
「そんなに動いたら危ないよ」と誰かの声が聞こえました。多分、両親だったのでしょう。10分くらい経って光は消えました。ただ、意識がもうろうとしていて、どんな終わり方だったかよく覚えていません。その一回だけしか、光は見えませんでした。
その後、私の症状は悪くなる一方で、入院をしました。病院の部屋で意識がはっきりした時、「これはヤバイ。人生詰んだな」と思いました。入院生活は、刺激が少ないようにとケータイを取り上げられたりするような、管理が妙に行き届いているところと、喉が渇いても水さえもらえなかったりする、管理がさっぱりなっていないようなところがありました。
朝の会では、全員で今月の歌を合唱することになっていました。私は、音楽が好きです。いつもクールぶっているのですが、音楽を聞くと、歌ったり、踊り出したくなったりします。身体がリズムに乗って動き出すのです。
朝の会でも自由に歌い踊りました。でも、それに気づいた看護師に「踊らないで」と言われました。「歌う時間であっても踊る時間ではないし、あなたが踊ると他の患者さんの刺激になって暴れ出すといけないから」。私は、納得できなかったのですが、面倒だったので、踊るのを止めました。
それなら、せめて歌を楽しく歌おうと、意見箱に好きな曲をリクエストしました。そのことを担当の看護師に話したら、真っ青な顔になりました。
「それは、病院の対応について要望するための意見箱で、投書があると私たちが面談を受けないといけなくなる。なんで事前に言ってくれないの?」
私は、納得できなかったのですが、面倒だったので、適当に謝っておきました。ただ単に、窮屈な入院生活で歌ったり踊ったり、気分転換したかっただけなのに。
なんだかモヤモヤするな。でも、あれから10数年の間に、退院できたし、地域で暮らしているし、ピアスタッフにもなれたし、まあいいや。そんなことを思い、過去の日々を封印しました。
昨年、KPが発足して、あの意見箱を思い出しました。あれはもしかしたら、人権を守るための意見箱だったのではないか・・・。そうだとしたら、あの投書は無駄ではなかったのかもしれない・・・。
6月15日、杉田劇場に山下洋輔さんが来る。ピアーズとして、一緒に舞台に立つ。そのための、戸松美貴博さんのワークショップに参加し続けていると、思うがままに身体を揺らせるようになってきました。どこかで覚えがある感覚です。私は急いでネット通販でファンベールをクリックしました。インターネット動画を見漁りました。
そして、6月15日。私は再び、舞いました。光が見えました。
あの時は、ひとりぼっちだったけど、今、ステージの客席にはたくさんの方がいる、そしてステージの後ろ側には仲間(ピア)がいる。不思議なピアノの音色を聞く。山下洋輔さんがきっと、私に合う音を奏でてくれているんだ。
すこし、笑みがこぼれた。




(撮影・佐藤光展)