長谷川利夫さんの「身体拘束のない日本へ」①/「不穏」で縛る不穏な医療者たち/拘束率は米国の266倍、豪州の599倍

この国で暮らす人たちの多くは、心のどこかでこう思っているのでしょう。

「精神障害者は危険だから隔離や拘束は仕方がない」

そんな発想こそが、「狂気」そのものなのに、全く〝病識〟がないのです。世間の無関心や後押しが、患者を違法に縛りまくる精神科病院を存続させ、身体拘束が原因とみられる突然死が後を絶ちません。

このような冷酷な社会に抗い、孤軍奮闘を続けてきたのが、杏林大学保健学部教授の長谷川利夫さんです。卑怯な匿名の中傷や、露骨な嫌がらせに晒されながらも、違法な身体拘束をなくすための活動に全力を注いできました。本来は作業療法の専門家ですが、精神科病院で当たり前のように行われている人権侵害を目の当たりにして、声を上げずにはいられなかったのです。

「日本では、暴れてもいない患者を『不穏』と称して縛ることがよくあります。明らかに安易で違法な身体拘束なのです。拘束する場合は必ず動画を残すなどして、後で検証できるようにするべきです」

日本の精神医療を問題視する場合によく用いられる手法が、イタリアなど海外の先進例との比較です。しかし、海外では夢のような精神医療が当たり前のように実現しているわけではなく、精神障害者を取り巻く環境は、どこの国でも厳しいものがあります。ですが、日本の精神医療はいくつかの点において、世界でも類を見ないほど劣悪なのです。その1つが身体拘束の乱発であり、近年、それはますます悪化してきました。

この問題は、私が読売新聞医療部記者の頃、長谷川さんの協力を得て書いた記事「精神科患者 拘束1万人 10年で2倍」(2016年4月8日朝刊)をきっかけに注目されました。長谷川さんは以後も独自調査を続け、アメリカやオーストラリアの研究者と共同で行った調査(イギリスの精神医学雑誌『エピデミオロジー・アンド・サイキアトリック・サイエンシズ』掲載)によって、日本の身体拘束率の異常さを改めて浮かび上がらせました。日本の精神科病院では、1日に人口100万人あたり98・8人が身体拘束を受けており、これはアメリカの266倍、オーストラリアの599倍にのぼっていたのです。

身体拘束や隔離は、精神保健指定医の資格を持つ精神科医が必要性の有無を判断します。その実行に関しては、精神保健福祉法と、厚生労働大臣が定める基準によって、最少性、一時性、対象患者の要件、などが次のように決められています。

「患者の自由の制限が必要とされる場合においても、その旨を患者にできる限り説明して制限を行うように努めるとともに、その制限は患者の症状に応じて最も制限の少ない方法により行わなければならないものとする」

「身体拘束は、制限の程度が強く、また、二次的な身体的障害を生ぜしめる可能性もあるため、代替方法が見出されるまでの間のやむを得ない処置として行われる行動の制限であり、できる限り早期に他の方法に切り替えるよう努めなければならないものとする」

「身体拘束の対象となる患者は、主として次のような場合に該当すると認められる患者であり、身体的拘束以外によい代替方法がない場合において行われるものとする。『ア 自殺企図又は自傷行為が著しく切迫している場合』『イ 多動又は不穏が顕著である場合』『ウ ア又はイのほか精神障害のために、そのまま放置すれば患者の生命まで危険が及ぶおそれがある場合』」

長谷川さんは更に、次のように指摘します。

「患者の暴力行為や迷惑行為に対して、精神保健指定医が法的に行えるのは隔離であり、身体拘束ではありません。身体拘束の実施は、極めて限定されているのです。ところが精神医療の現場では、暴れてもいない患者までも縛り付ける違法行為が頻発しています。その結果、死亡する人まで出ているのです」

精神保健指定医が、安易に縛る時によく使う言葉が「不穏」です。目つきが怖いとか、落ち着かないとか、帰ろうとするとか、精神科病院に突然連れて来られたら誰もが示して当然の反応を、「不穏」だと言って縛るのです。私の取材経験では、大柄の男性が「不穏」を理由に縛られる傾向がありました。落ち着いていても、「もし暴れられたら大変」という医療者側の不安が先に立ち、予防的な拘束を行っているのでしょう。もはや「犯罪」と呼びたいほどの違法な拘束です。

(続く)

違法な身体拘束について伝える新聞記事を示す長谷川利夫さん
(2021年6月7日ウィリング横浜での講演会で撮影)