「ピアはみな共感力豊か」は幻想/KPセミナーで「つながる」意味を再確認

こんにちは、KP芸術文化担当の中村マミコです。人を支援する仕事に就く人は「共感力」や「理解力」を求められがちです。確かに、それはあるに越したことはありませんが、ピア(障害当事者)は共感力があって当然、とされることには違和感があります。共感力がないと「ピア失格」と言っているようなものですから。

5月22日、ウィリング横浜(横浜市南区)で開催したKPセミナー「ピアは『共感力』がないとダメですか」では、2人のゲストスピーカーにピアと共感力について語ってもらいました。

最初に登場したピンクわかめちゃんは、KPの調査活動やHP作成などで力を発揮してくれています。普段は東京の大学院に通っていますが、今春、「ピアと共感」をテーマに研究論文をまとめました。今回はその研究発表の場でもありました。

「ピアだから患者の気持ちがわかるはず。共感できるはず」という、医療職や福祉職が抱きがちな思いを、ピンクわかめちゃんは「ピア幻想(peer fantasy)」と切り捨てます。ピアだからといって、深い共感力を持つ人たちばかりではないことは、福祉現場で働く私も実感しています。しかし、共感力とは別の特性を生かして、立派に働くピアスタッフも多くいます。共感力が全てではないのです。

ピンクわかめちゃんは今回の論文をまとめるにあたり、YPS(横浜ピアスタッフ協会)メンバーのピアスタッフやピアサポーターをたくさんインタビューして、彼らが共感力とは異なる三つの力でつながっていることを見出しました。

一つ目は、「祭り」。YPSは祭り(イベント)を頻繁に行っています。祭りは過去に拘らず、今を共有して楽しむのが醍醐味です。互いに深く共感し合わなくても、その場の人々とその瞬間を楽しむことが「つながり」を生み出しているのではないかと、ピンクわかめちゃんは考えたのです。

二つ目は、「どうでもいい」。過去の経験(病気の経験など)は今更どうでもいい、拘わっても仕方がない、という一種の諦めの境地です。過去の出来事に重きをおかないことが、実は周囲との「つながり」を生み出しているのではないかと指摘しました。

そして三つ目は、「絶望」。病気の苦しみや、不適切な医療、人を馬鹿にした福祉などの経験を経て、痛み、復讐心、孤独など、消えることのない「絶望」をピア一人一人は抱えています。そのような過酷な経験は、そう簡単に共有できないことをピアは知っている。だからピアは、「相手に共感できるのではないか」という余計な幻想を持たず、とにかく「相手の話をじっくり聞くしかない」という姿勢で支援に臨み、それが「つながり」を深める糸口になっているのではないかとピンクわかめちゃんは考えました。

「絶望」という経験にこそ、ピア同士のつながりの鍵があるのではないかという指摘に、会場に集った多くのピアたちは大きく頷いていました。

後半のスピーカーは、新澤克憲さん。「幻聴妄想かるた」を作ったことで有名な東京都世田谷区にあるハーモニーという作業所の所長をされています。

新澤さんは最近、世田谷区で始まった、ピアサポーターの力を地域包括ケアシステムの中で発揮してもらうためのワーキンググループに参加しています。その中で感じる「ピアはピアに共感できて当たり前」という「ピア幻想」に、モヤモヤを感じていると言います。

このピアサポーターへの期待の押し付けは、今春、SNSで軽く炎上した月刊誌「精神看護」(医学書院)の一件にも重なります。この件について、当日参加してくれた「精神看護」編集担当、石川誠子さんが語ってくれました。

ことの発端は、3月号の表紙と特集記事で使われたタイトル「ピアサポーターを活用すると、こんなに素晴らしいことが起きる」。この「活用する」という言葉に対して、一部の読者から「ピアは活用『される』存在なのか」「ピアに主体性はないのか」などの批判が相次いだのです。

この特集は、精神科病院にピアサポーターが実際に入り込むことで、今まで医療関係者だけでは成し遂げられなかったことが可能になった、という前向きで建設的な内容でした。しかし、「活用『される』」という言葉が使われたことで、医療者とピアサポーターとの上下関係が見えてしまい、医療者が一方的にピアサポーターを使ってやっている、という印象を与えてしまったのです。石川さんはこの件を通じて、医療者と患者との非対等性、ヒエラルキー構造がもたらす問題や弊害を目の当たりにしたと語りました。

「ピア幻想」は、ピアが持つ本来の力への理解を歪める一方で、「ピアなら〜できるはず」というピアへの期待でもあります。現状の精神医療に限界を感じ、ピアサポーターの力を期待せずにはいられない人々の切実な気持ちから生まれ出たものでもあります。

会場からこんな発言がありました。「ピアサポーターや患者自身が、医療や行政をもっと活用する立場になるべきです」。

その通りだと私も思います。ピア自身が、医療や制度を活用する側に立つのが本来の姿です。さらには、医療や制度をより良くしていくための働きかけも、ピアが主体となってやっていくべきなのです。

ピアの力が今、強く求められています。「ピア幻想」を越え、「する/される」の関係性に絡め取られることなく、ピアがピアのために力を発揮していくことが何よりも大切であることを確認しました。

「絶望」について語る、ピンクわかめちゃん
東京都世田谷区の作業所「ハーモニー」の新澤克憲さん