「当事者抜きで進む支援」に喝!/兵庫県精神医療人権センター吉田明彦さんが熱く語る

神出病院事件の被害者支援などを続ける兵庫県精神医療人権センターの吉田明彦さんの講演会が、12日、KPの拠点・森の庭わーく(横浜市磯子区)で開かれました。前日の院内集会で吉田さんの熱い話を聞き、その活動をもっと知りたいと思った人たちも詰めかけ、会場は満員になりました。

講演の前半は、神出病院事件に関する話。吉田さんは開口一番、「この事件は話をすること自体が辛く、耐え難い」と漏らし、怒りや悲しみに声を震わせながら、こう続けました。

「事件はまだ何も解決していません。今も神出病院から出られないでいる患者たちのことを思うと胸が痛い」

本来であれば、今頃は神戸市が入院患者の意向調査を完了して、転院希望者は別の病院に移れているはずでした。しかし、コロナ禍のために調査が進まず、患者たちは虐待が常態化していた病院に取り残されているのです。

昨年3月、この事件をニュースで知った吉田さんは、「被害者に会いに行かなければ。助け出さなければ」と、すぐに神出病院に病棟訪問の受け入れを許可してほしいとの書簡をFAXで送ったのですが、立ち入りを拒まれました。兵庫県精神医療人権センターとして声明文を出したり、行政に働きかけたりと、ありとあらゆる手段を試みましたが、病院の厚い扉は今も開かれていません。

必死の活動を続ける中で、吉田さんは「この事件は未然に防げたのではないか」と思うようになりました。神出病院のことを知る人たちから、「ああ、やっぱり」という声を多く聞いたからです。

「神出病院は神にならないと出られない(死なないと出られないという意味)。そんなふうに揶揄する声も以前からあったのです。なぜ、そうした情報をもとに内情を調べ、行政に調査を求めるなどの動きができなかったのか。反省すべき点は数多くあります」

吉田さんは、KPに2つのアドバイスをくれました。

1つ目は「630調査に限らず、精神科病院の監査資料など、ありとあらゆる情報を自治体に開示請求すること」。もし行政が公開を拒否したら、審査請求をするなどして公開させること。そして、それを読み込み、想像力を膨らませ、病院内で何が起きているのか把握すること。

2つ目は「ネットワークづくり」。当事者会、家族会、精神保健福祉士協会、社会福祉士会、弁護士会などの専門職団体(あるいは職能団体)など、様々な立場の人たちが互いの立場を理解し、力を合わせて同じ問題に取り組むこと。

2つともKPが既に手掛け始めていることであり、吉田さんのアドバイスによって、進むべき方向の正しさを確認することができました。

後半は、フィリピンを中心とした国際協力NGОでの活動や、双極性障害の発症、障害者運動に関わるようになった経緯など、自身の様々な経験を語っていただきました。

国際協力NGОでは、過剰な支援が地元の人々の生きる力を削ぐことを痛感。日本の福祉現場にありがちな、支援者の自己満足に過ぎないお節介がいかに罪深いか、豊富な海外経験を踏まえた言葉には説得力がありました。

吉田さんが障害者運動に積極的に関わるようになったのは、津久井やまゆり園事件がきっかけでした。「こんな大変な事件が起きても、世間の目は被害者家族や施設職員に向けられ、直接の被害を受けた障害者の存在はないに等しい」という現実を見せつけられ、愕然としたからです。なぜ当事者が無視されなければならないのか。「障害者自身が声を上げなければダメだ」と強く思うようになりました。

吉田さんは数年前から、「МAD PRIDE」という活動(カナダのトロントで20年近く前に始まり、欧米を中心に広がった精神障害者たちによる路上パフォーマンス)に注目しています。当事者が個性的な格好をして街に繰り出し、ベッドプッシュというパフォーマンスを行いながら練り歩くこの活動は、1970年代に注目を集めた「青い芝の会」の運動と共通する点が多いと気づき、共感を覚えたためです。

そして、津久井やまゆり園事件の後、この悲劇を忘れないために、兵庫の仲間や大阪のグループと連携して、路上での定期的なデモやパフォーマンスを始めました。昨年はコロナ禍のために、路上パフォーマンスは中止となりましたが、オンラインを活用した取り組みを継続しています。

「精神障害者がアイデンティティや誇りを獲得して、堂々と生きる。そんな社会にしたい。精神障害者であることの何が悪いねん」

吉田さんの活動領域は、広がり続けています。

吉田さんの講演の詳しい内容は、後日、KP会員向けに公開します。

兵庫県精神医療人権センターの吉田明彦さん