「やりたいことをやればいい」/不良障害者ゆうじさんが今伝えたいこと

脳性麻痺の「不良障害者」ゆうじさんを講師に招いた4月21日のKP勉強会「『自立』って何ですか?」。ゆうじさんが発するナマの感情とリアルな言葉は、参加者ひとりひとりの胸に響きました。参加したKPメンバーの平田智子さんは、次のような感想を寄せてくれました。

「自立とは、自分の醜いところやダメなところを自覚できるかどうかだ」。そのことを、身をもって伝えてくださったゆうじさんの芯の強さは、様々な人と関わって生活していくなかで培われたものだと思いました。障害者=聖人君子でなくてはならない、という誤った“障害者像”を持つ人が多いなか、障害者もひとりの人なのだ、人並みにしたいことがあるのだと語るゆうじさん。言語障害のせいで子供扱いされたり、無視されたりしたご自身の経験が、いまのゆうじさんをつくっているのだと思いました。

そして、障害者と健常者を分けてしまいがちなこの社会に対して警鐘を鳴らして、子供のころから障害者と触れ合える場を作りたいと意気込んでおられる姿に感動しました。身体の不自由さを抱えながらも、主体性を持ち、大きな車いすと共に動き回るゆうじさんの姿、きちんと目に焼きつけました。

ゆうじさんと同じ脳性麻痺を抱える五十嵐さんの苦悩にも触れられたことも、普段では聞けない貴重な時間となりました。五十嵐さんのこと、もっと知りたくなりました。

ゆうじさんのように活動的に暮らせている障害者もいる一方で、施設で同じパターンの生活を繰り返している障害者もたくさんいることを忘れずに、活動していきたいと思いました。

ゆうじさんは、出生時のトラブルで脳性麻痺になりました。身体を自由に動かすことができず、移動には電動車いすが欠かせませんが、24時間の介助を受けながら「一人暮らし」を続けています。料理が得意で、路上でケーキ販売をしていたこともあります。講演ではまず、「自立」について次のような考えを語ってくれました。

障害者の自立って言われた時に、なんでも自分で考えて、自分で決めるみたいなことを言われがちです。でも、障害のあるなしに関わらず、ひとりで何でもやれる人なんてそもそもいません。いろんな人と付き合って、影響を受け合って生活していくのが当たり前だから、「自立」って言葉は、今は使いたくないと思っています。

ずっと「自立」を目指してきたゆうじさんが、そのような気持ちになったのは、やまゆり園事件がきっかけでした。

あの事件は絶対に許せません。「障害者は厄介な存在で、言葉が話せない奴は生きている資格がない」という考えも決して許されない。でも障害者の自分も、どこかで他の障害者に差別的な意識を持っていたりします。そういう醜い自分がいることを、まず自覚しなければならないと思うようになりました。障害があることで差別されてきた自分と、障害を理由に差別する自分。その二つを抱えている自分の存在を伝えていくことが、自分の責任、役割だと思うようになりました。

ゆうじさんは重い障害がある当事者として、社会の中でどういう存在であるべきか、自分をどう発信していくべきか、ということをずっと考えてきました。

もう数十年前になりますが、付き合っていた彼女に捨てられました。その後、8年近くは呑んだくれの生活。目覚めさせてくれたのは、友人の厳しい一言でした。「障害者だからって、障害に甘えるのも大概にしろ」。その頃は、先輩障害者に「金魚のうんこ」のようについて回り、障害者運動の端っこにいました。何か重要なことをやっているつもりでいたのですが、結局、自分の頭では何も考えていなかったのです。「もっと自分のやり方で生きられないものか」。そこで思いついたのが、以前から好きだった料理でした。自分の好きなことをやることで、重度障害者でもできることがあると社会に認めさせられる。他の障害者が生きていく上での、ひとつのモデルになれるのではないかと思ったのです。

この日、ゆうじさんと対談したのは、KPメンバーの「(自称)脳性麻痺の人権活動家」KEN(五十嵐謙さん)。障害のために子どもの頃は度々いじめられ、精神的に追い込まれたこともあると明かしました。KENは今、KPメンバーとして何ができるか模索しています。そんなKENを、ゆうじさんは「やりたいことをやればいい」と励ましてくれました。重い障害を持つゆうじさんにとって「やりたいことをやる」のは簡単なことではありません。けれども、ゆうじさんは負けませんでした。「やりたいことをやる」ことで、人生を切り拓いてきました。

僕は養護学校を卒業した後、作業所に通いました。しかし、1年と続かなかった。一生懸命働いても、ひと月にもらえるのはたったの1000円。職員は何でもわかっているような顔で「支援」し、お節介ばかり。「やってらんねえよ」となって、作業所をさっさとやめて、先輩障害者たちと一緒に小田急の梅ヶ丘駅にスロープを設置する運動などに関わるようになりました。あの時、あのまま作業所に通い続けていたら、支援者たちにやまゆり園のような施設に入ることを「良かれ」と思って勧められていたかもしれない。あるいは、施設と作業所を往復することしか許されない毎日になっていたかもしれません。

ゆうじさんは、そういう選択肢しか与えられない、あるいは、そういう道しかないと思い込んでいる障害当事者や家族、支援者たちに対して、「こんな生き方もある」ということを、身をもって示してきました。講演の最後に、これからの夢を語ってくれました。

僕は居場所を作りたいと思っています。僕みたいな障害のある人たちが、自分のやりたいことをやれる場所を作りたい。障害者というと、真面目で、努力家で、悪いことをやらないという間違ったイメージがあります。本当は、僕はスケベだし、聖人君子なんかじゃない。そんな囚われたイメージを変えたいと思っています。そして、こんな障害があってもいろんな生き方があることを示していきたい。地域の子どもたちも、遊びに来てくれたらいい。子どもも、大人も、ごちゃ混ぜになって遊びながら付き合える場所を作りたいと思っています。

ゆうじさんは現在60歳。自分のやりたいこと、障害当事者としてやらねばならないことを、「やる」ことに迷いはありません。

KP勉強会で講演するゆうじさん
ゆうじさんと対談するKEN(右)

(写真撮影 佐藤光展)