大野裕さんの「認知行動療法」②/コロナ禍のメンタルヘルスパンデミックを防げ
新型コロナウイルスは、私たちのこころにもダメージを与えています。流行の長期化で、それは解消されぬまま蓄積し、世界中が「メンタルヘルスパンデミック」と呼ばれる事態に直面しています。日本では、昨年後半からの自殺者数の増加が、コロナ禍のこころへの影響の大きさを物語っています。
「新型コロナウイルスには3つの危機があると私は考えています」
精神科医の大野裕さんはそう指摘し、3つの危機について次のように語ります。
「1つめは『生存の危機』です。高齢者の中には『感染したら死ぬのではないか』と恐れている人がいます。若い人でも、感染すると体に様々な悪影響が残るかもしれないと報道されていますので、危機感は強くあります。加えて私たちは、生存を脅かす経済の危機にも見舞われています」
「2つめは『人間関係の危機』です。自粛生活や在宅勤務が広がり、人と人との密接なつながりが危機に陥っています」
「3つめは『次世代の危機』です。学校を休みにしたり、様々な行事を中止にしたりすることで、次の世代を十分に育てることができていません。子どもや思春期の人たちへの支援が、通常のようにはできていないのです」
こうした危機のために、精神疾患を持つ人も、持たない人も、こころの健康状態が悪化しています。大野さんは特に、「3大ネガティブ感情が強まっている」と指摘します。
3大ネガティブ感情とは、「不安(恐怖)」「うつ」「怒り」を指します。私たちが様々な事態に直面した時、真っ先に、自然と頭に浮かぶ思考(自動思考)がこうしたネガティブ感情で占められると、以後、柔軟な対応ができなくなります。
そこで認知行動療法の出番です。つらい気持ちになったり、自分にとって良くない行動をとったりした時の自動思考をつかまえて、それを修正することで、現実に沿った解決ができるように手助けする精神療法(心理療法)です。自動思考による自動的な判断を一度ストップして、現実の情報をできるだけ多く集めて、実際に起きていることを丁寧に検証していきます。前回の記事でお伝えしたように、認知行動療法はポジティブ思考に無理やり導く方法ではなく、今の状況を正しく見詰め、現実的な解決策を選べるようにサポートする方法なのです。
それでは、コロナ禍で強まりがちな3大ネガティブ感情(不安、うつ、怒り)と、どう向き合えばよいのでしょうか。大野さんの解説を紹介します。
「『不安』という感情の裏には、『危険だ』という認知があります。すると不安な状況を避けるための行動をとるようになります。これは自然な行動パターンですが、危険を強く感じ過ぎたり、危険ではない時にまでアラームが鳴ったりするようになると、本当に危険かどうかの確認ができなくなり、『不安』がますます強まっていきます」
「この場合、問題なのは『危険』という認知です。『危険』を現実以上に大きく判断しているのです。同時に、自分自身の対処能力や周囲の手助けを過小評価しています。その結果、ますます不安になり、逃げに入るのです。その逃げを克服するためには、実際に行動して確かめてみる、そこに足を踏み込んでみる、ということが大事です。実際にやってみたら、思ったよりも楽だったということは多く、やってみなければわからないのです」
「『うつ』は、『(家族、友人、信頼、人間関係、仕事など)大切なものを失くした』という認知から生まれます。大事なものを失くしたから気持ちが沈み込み、『失敗した』という思いにとらわれていきます。こうなると、ちょっと休んで自分の体制を立て直して、エネルギーを作らないといけません。これも自然な心理ですが、身体の行動が減ると、気持ちがますます沈み込んでいきます。楽しいことや、やりがいのある行動が減ると、こころの元気が失われていくのです」
「すると『自分はダメ人間だ』『自分の力ではどうにもならない』という感覚が強まり、どんどん落ち込んでいきます。このような場合も、まずは自分に寄り添う視点が大事です。『こういう時に落ち込むのは自然なんだ』『今は活動性を低くしてエネルギーを貯める時期なんだ』と考えて、その上で、楽しみややりがいを得られる行動を増やしていきます。そして適切な情報を集めて、目の前の問題を一つずつ解決していく。解決策は一つではありません。いろいろあります。選択肢をなるべく多くして、その中から良いものを選んで解決していく。そうすることで、うつの気分は軽くなっていきます」
「落ち込んだ時は『考え過ぎ』ということも起こります。それに気づいた時は、『体を動かして考えを止める』、あるいは『楽しい体験を思い出して頭でその考えを止める』という対処法が有効です。悩みを全部抑え込むのは難しいので、『悩み時間』を作る方法もあります。その時間までは悩まないようにして、『悩み時間』を10分、20分と決めておくと、悩まない時間を増やしていくことができます」
「『怒り』は、『自分のテリトリーに侵入された』という認知から生まれます。自分の領域にズケズケと踏み込まれると、『ひどいじゃないか』と腹が立って、攻撃的になります。攻撃姿勢は相手にも移り、こちらがムッとすると相手もムッとします。すると『ひどいことをしたくせに、とんでもないやつだ』とますます腹が立ってきて、関係がギクシャクしていきます」
「『怒り』という感情が悪いかといえば、そうでもなく、怒りはエネルギーでもあります。腹が立つから頑張ることができます。決して悪い感情ではありません。カッとなった状態がずっと続くことはなく、その瞬間の感情に上手に波乗りするようなイメージが、怒りのコントロールでは役立ちます」
「そのためには、自分が怒りを感じていることに気づくことが大切です。気づく前に手を出さない、足を出さない、ということです。そして、その強い感情をうまくやり過ごして、『自分はこうなって欲しい』という思いを相手にきちんと伝えるコミュニケーション術が大事になります。敵対的、友好的という感情は、相手に同じ感情を引き出します。嫌な相手でもニコッと挨拶すると、相手もニコッと返してくれます。そこから新しい関係が生まれるかもしれません」
いかがでしょうか。認知行動療法は、薬物療法のように精神疾患を患う人だけのものではありません。私たちが様々なストレスに対処していくための「生きる知恵」なのです。
コロナ禍はまだまだ続きそうです。活動量が低下し、考えがネガティブになり、うつに落ち込んでいく人がますます増えるかもしれません。経済的な困窮が、そこに追い打ちをかけます。
無責任な言動を繰り返す政治家や行政の言う通りにしたり、センセーショナルな報道に振り回されたりして、ひたすら家に引きこもっていると、こころの健康は悪化の一途をたどります。現状でもできること、やれることを増やしていくことが肝心です。「やる気があるからやる」ではなく、「やるからやる気が出る」と、認知行動療法ではよくいわれます。まず動くことで思考が活性化し、生きる力が湧いてくるのです。
マスクや手指の消毒などに加え、認知行動療法の基礎知識の普及もコロナ対策に加えたらよいのではないかと、大野さんの話を聞きながら思いました。
(続く)
