野村総一郎さんの「老子哲学療法」③/心が楽になる「ジャッジフリー」
45年以上に及ぶ診療経験で、延べ10万人以上の患者と向き合ってきた精神科医の野村総一郎さんは、自身の造語である「ジャッジフリー」の意味を、「ジャッジ(判断)を意識的にやめること」と説明します。
私たちは生きるために、常に判断を強いられています。やるか、やめるか。右に行くか、左に行くか。そうした大切な判断や決断までも「やめろ」と野村さんは言っているのではありません。問題なのは、無意識にしてしまう「ジャッジ」です。著書「人生に、上下も勝ち負けもありません」(文響社)の中で、次のように書いています。
「私たちはさまざまな局面で、この『ジャッジ』というものをほとんど無意識にしてしまっています。優劣をつけ、勝ち負けを意識し、上に見たり、下に見たりしているのです。『お金がある人は幸せ。ない人は不幸』『顔がいい人は幸せ。そうでない人は不幸』『仕事で評価されている人は偉い。されていない人はダメ』『友人が多い人は素敵。少ない人は寂しい』『話が上手な人はかっこいい。口べたな人はかっこ悪い』。こんなふうに、数え上げればキリがないほど、世の中は『ジャッジ』にあふれています」
このような「ジャッジ」が実は的外れであることは、皆さんも十分理解されているはずです。幸福なお金持ちもいれば、不幸なお金持ちもいるのです。しかし、心に余裕がなくなってくると、このような不毛な比較にもとづく「ジャッジ」が頭をもたげてきます。そして自分と他人とを比べて、自分の不運や不幸を嘆き、苦しくなってくるのです。
何が正しく、何が正しくないか。そうした判断をいったん止めてみるのが、野村さんの言う「ジャッジフリー」です。西洋的な精神療法にありがちな「治していく、正していく」という方向ではなく、「そのままでもいい」「ありのままでいい」という思いを芽生えさせていきます。
老子の教えの中にある「琭琭(ろくろく)として玉の如く、珞珞(らくらく)として石の如きを欲せず」 (美しいダイヤモンドのような存在になりたいとか、つまらない石ころのような存在になりたいとか、そういうことはどうでもいい。このふたつに優劣はなく、自然の姿を受け入れて生きていく)という「ジャッジフリー」な境地に至れば、確かに生きるのが楽になりそうです。
その上で、改めて様々なことにチャレンジしたいという意欲が沸いてきたら、老子(や荘子)の教えにこだわる必要はなく、孔子(儒家)や他の先人たちの言葉を励みにすればいいのです。妄信や過度のこだわりを捨てることも「ジャッジフリー」であり、「上り坂の儒家、下り坂の老荘」の言葉のように、今の自分にとって本当に大事だと思える「教え」をその都度選んでもいいのです。
日本うつ病センター六番町メンタルクリニック(東京都新宿区)の野村さんの外来には、「ジャッジ」に苦しむ人たちが多く訪れます。野村さんは「自分で勝手に優劣をつけてしまっているだけではありませんか」と問いかけ、「ジャッジ」という行為を無意識にしている事実を、まず理解してもらうように努めているそうです。そして、「ジャッジ」しないことの大切さを、老子の教えなどを交えて丁寧に伝えているそうです。
受診者の中には、他の医療機関でうつ病の薬物治療を長く受けても治らず、すがる思いでやってくる人が多くいます。いわば、他院の精神科医たちの「ジャッジ」で難治化させられた患者たちと、野村さんは日々向き合っているのです。
初診の患者は診察に1時間かけ、再診時も診察時間をできるだけ長く確保するのが、同クリニックの方針です。医療機関の儲けという観点からみると、3分診療で薬をすぐに処方して患者をたくさん診た方がよく、長い面談は明らかにマイナスですが、他の医療機関では治らなかった患者たちが、同クリニックで次々と回復していく状況が生まれています。
野村さんは、精神疾患というものをどのように捉えているのでしょうか。最後に尋ねてみました。
「精神疾患には、(脳内の神経伝達物質の変化などの)生物学的な要素があります。それは無視できないと思います。ただし、生物学的な部分があまり問題にならない人もいます。むしろ、その人の生き方とか、環境とか、そういう部分で問題が生じている人たちです。そうした人たちには、精神療法や老子の教えが役立つかもしれません。また、生物学的な部分と、環境的な部分が少しずつ関係している中間的な人もいますので、それぞれに合った対応が必要です」
「私は薬を出さない主義の医者ではありませんが、今、私の外来で薬を使っている患者さんは3割くらいです。これは、生物学的な要素を持つ人が3割しかいないということではなく、薬が必要だと思われる人にだけ処方しているうちに、3割になったのです」
「精神医学的な診断は、たいして重要ではありません。個々の患者さんの状況を踏まえて、どのような支援がふさわしいかと考えることが、最も大切なのです」
