野村総一郎さんの「老子哲学療法」②/あえて「弱く生きる」ことの意味

老子哲学の根幹には、「無為自然」(ことさらに知や欲を働かせず、自然に生きる)という考え方があります。そして、老子が書いたと伝えられる「道徳経」には「弱さの勧めがちりばめられている」と、精神科医の野村総一郎さんは指摘します。よく知られている次の5つ言葉にも、それが表れているようです。

「足るを知る者は富む。つとめて行うものはこころざしあり。その所を失わざる者は久し」(あまり欲張らず、このくらいで十分だと知っておくのがよい。努力は大事だが限界がある。努力すること自体で、もう目標を達成しているのではないか。こうしたことをわかっている人は強い)

「上善は水のごとし。水は善く万物を利して、しかも争わず」(最高の善は水のようなものである。万物に利益を与えながらも、他と争わず器によって形を変え、低い位置に身を置く)

「曲なればすなわち全し」(曲がりくねった木は伐採されずに済み、結果的に天寿を全うできる)

「人に勝つ者は力あり。自ら勝つ者は強し」(他人に勝つことは力の証に違いないが、本当の強さは自分に打ち勝つことだ)

「和光同塵」(光を和らげて塵に交わる。自分だけが光り輝く存在になるのではなく、俗世間に交わってみることが大切だ)

老子は道徳経を通じて、「多くを望むな」「名誉にこだわるな」「結局は弱いものが勝つ」「自分を知れ」「物の価値は相対的である」「自然に従え」などと説いています。こうした考えは、孔子を始祖とする儒教(儒家思想)への反発や批判だとみる向きもありますが、野村さんは「あえて弱く生きてみろ」と勧める老子哲学の中に、心の癒し効果を感じ取ったのです。なぜなら、うつ病などのメンタル不調に陥りやすい人には、「弱い自分」を許せず、強くあろうとして頑張り過ぎる側面があるからです。

うつ病を患いやすい人の心理には、4つの特徴があると野村さんは考えています。

①自分は弱い=劣等意識

②自分は損している=被害者意識

③自分は完璧であるべき=完全主義

④自分のペースにこだわる=執着主義

こうした意識やこだわりは誰もが抱くはずですが、度を超えると良くないのです。加えて野村さんは、上記4つの特徴の裏には共通して「弱い自分の敗北意識」があると指摘します。自分に自信がないことから来る心の激しい揺らぎが、過剰な意識を生むのかもしれません。

有害な「敗北意識」は、他人と自分とをことさら比較することで増大します。「頑張っているのに評価されない」「自分は人よりも才能がなく、何もできない」「成功した友人たちがうらやましい」。そのような思いが心の大半を占めるようになると、苦しくてたまらなくなります。眠れなくなり、心身が疲弊し、精神疾患を発症しやすくなります。

でも人は人、自分は自分です。他人からどう見られようが、他人がどう見えようが、そんな相対的な評価は、自分の人生の価値とは本来関係ありません。老子はこの点にも言及しており、野村さんはこう指摘します。

「道徳経では、『自分と他人を比べるな』『他人との関係性に必要以上に苦しめられるな』ということも、表現を変えて繰り返されています。人の目を気にして精神的な疲労が溜まりがちな人ほど、老子哲学は響くはずです」

しかし昨今、中国哲学や漢文に親しむ人は少なくなりました。精神科の診察室でいきなり「老子によると……」などと切り出しても、「なんだか難しそう」と誤解されてしまうかもしれません。そこで野村さんは、メンタルケアに役立つ老子哲学のエッセンスを凝縮した現代的なキーワードを作りました。それが「ジャッジフリー」です。

(続く)

メンタル不調に効く老子の言葉をたくさん紹介した野村さんの著書「人生に、上下も勝ち負けもありません」(文響社)