福田さんは幸せだったのか? 前編/何もしないケースワーカーたち
みなさん、こんにピア!!
KPちゃんはラーメンが大好き。今日も横浜市神奈川区のお店に食べに来てしまいました。半チャーハンもついて700円。お得でしょ。
ズルズル、ズルズル。
ああ、うまい!
ズルズル、ズルズル。
うっ、ううっ、うううっ(嗚咽)。
数口食べただけで涙が止まらなくなってしまいました。実は、この店のラーメン&半チャーハンセットは、KPちゃんが強く働きかけて精神科病院から退院してもらった福田哲也さん(仮名)の大好物だったのです。
福田さんは昨年暮れ、病気で突然亡くなりました。地域に戻ってわずか1年半。70歳でした。
「精神科病院から退院させたことは本当によかったのだろうか」
「お節介なことをしてしまったのではないか」
少々長くなりますが、KPちゃんの「涙のわけ」にお付き合いください。
☆ ☆
「福田さん急死」の知らせは、2020年12月12日の早朝に飛び込んできました。彼は、KPちゃんが働く作業所の利用者でしたが、住んでいた高齢者向けグループホームが新型コロナ対策を理由に春から外出を禁じたので、通所できなくなっていました。会えなくなって約10か月。突然の訃報でした。
出会ったのは8年前。KPちゃんが働いていた作業所に、ケースワーカーに付き添われてやって来ました。医師の診断によると病気は統合失調症で、軽度の知的障害もあるとのこと。その見立てには疑問が残りましたが、滑舌が悪くて何を言っているかわからないことはしばしばありました。
周りの人と積極的に交わることはないけれど、いつもニコニコ。珍しく話しかけてきたかと思うと、「郡上八幡の市外局番は○○番だよね」などと、暗記した遠方の市外局番の確認だったりしました。暴力団の話が大好きで、任侠ストーリーに満ち溢れた雑誌「実話時代」をくれたりもしました。
福田さんの過去は、とにかくわからないことだらけでした。「マグロ漁船に乗っていた」「伊豆でヤクザの子分をしていた」「網走にいた」などなど。本当のところはよくわかりません。でも日本全国津々浦々、放浪を続けたのは確かなようです。東北の出身と聞いていましたが、横浜の地にいつ流れ着いたのかもよくわかりませんでした。
KPちゃんの作業所に通うことになった時点では、通院先の精神科病院に近いグループホームに住んでいました。そこからバスで作業所に通っていました。来ても特に何をするわけではないけれど、頼みごとをすれば大抵のことは「いいよ」の一言でやってくれました。こちらから頼みごとがない時は、作業所の自転車に乗ってふらっと出かけていきました。昼ごはんは、ひとりでよくラーメン屋に行っていたようです。束縛されない、自由気ままな生活をこよなく愛する人でした。
2016年の夏、福田さんは精神科病院の待合室で他の患者さんと喧嘩騒ぎを起こしました。カッとした勢いでポケットからカッターを取り出し、相手の人を脅したのです。いつもはニコニコしているのに、年に一度くらいの割合でカッとなることがありました。その年に一度が、たまたま精神科病院で起きてしまい、そのまま入院になってしまいました。
KPちゃんは、ここで大きな疑問を持ちました。なぜ留置場や刑務所に入るのではなく、入院になってしまったのかと。福田さんは精神疾患の診断を受けていますが、この騒動と病気とに、強い因果関係があるとは思えませんでした。
カッターを持っていたのは、被害妄想に怯えていたからではありません。ヤクザぶりたくて、よく持っていたようなのです。でも、殺傷力のあるドスを懐に忍ばせたり、本当に切りつけたりするほどの悪さはありませんでした。
福田さんがこのトラブルときちんと向き合うためには、警察に連れて行かれた方がよかったのではないでしょうか。ですが、KPちゃんが異を唱える間もなく入院となり、「喧嘩した患者と同じ病院には置いておけない」という理由で、すぐに転院させられてしまいました。更に、対人関係の問題を起こしたという理由でグループホームから退去させられ、帰る場所を失ってしまったのです。
何のための入院なのか。「医療」とはとても呼べない「隔離」ではないのか。よくわからない入院生活が始まりました。しかし任意入院だったので、数か月経てば退院できるだろうと、福田さんもKPちゃんも考えていました。ところが、入院後まもなく開かれた院内カンファレンスで、主治医がケースワーカーたちに伝えた見通しは、「退院の目処は1年後」。その根拠を主治医は示さぬまま、本人のいない所で「長期入院」という名の「長期隔離」が決まりました。
このカンファレンスは病院と行政の関係者が中心だったので、KPちゃんは参加できませんでした。同席していた横浜市のケースワーカーたちは、この決定について誰も抗議しませんでした。「おかしい」という思いすらなかったのかもしれません。
「医者に対して何も言えず、支援者としての力もないこの人たちに任せてはおけない」。危機感を覚えたKPちゃんは、頼りになる支援者を増やして福祉サービスを最大限使えるように、区の生活支援センターに掛け合いました。
入院生活が続いて1年ほどたった頃、病院から連絡が入りました。福田さんが病棟内で転倒し、以前に股関節に入れた金属が外れてしまったというのです。KPちゃんは、一刻も早く整形外科に連れていくようお願いしました。しかし、「本人が望んでいない」と病院スタッフから返事がありました。
「そんははずはない」。KPちゃんは病院に駆けつけ、治療を拒む理由を本人に尋ねました。すると「痛いから」。「このまま手術しないと一生車椅子生活になる。麻酔するから大丈夫だ」。そう伝えると、福田さんはニコニコしながら答えました。
「手術する」
この瞬間、KPちゃんは病院への怒りがふつふつと沸き上がってきました。
(続く)
