野村総一郎さんの「老子哲学療法」① /西洋発セラピーを東洋的に改良

体はいたって健康で、特段の悩みもなくご機嫌に過ごしていたのに、ある日突然、脳機能の一部が異常をきたして深刻な精神疾患を発症する。そんなことは滅多にありません。

突発的な精神症状の裏には、これを引き起こす身体疾患が隠れているか、あるいは深刻な精神的ストレスの影響があるはずです。こうした可能性を無視して、「脳の病気」と単純に決めつけて漫然投薬するだけの「医療もどき」を受け続けると、症状が悪化、長期化して人生を棒に振る恐れもあります。

精神科は本来、投薬オンリーの薬物屋ではありません。患者のストレスや心と向き合う診療科です。ですから、患者を本当に「治したい」と考える精神科医は、患者の話をよく聞き、ストレス源を突き止め、ストレスを減らすための方法を患者と一緒に考えます。

防衛医大精神科教授や日本うつ病学会理事長などを経て、現在は日本うつ病センター六番町メンタルクリニックの所長を務める野村総一郎さんも、患者ときちんと向き合おうとしている精神科医のひとりです。読売新聞朝刊の人気コーナー「人生案内」の回答者としても知られ、私が読売新聞医療部記者の頃は、取材でお世話になりました。

野村さんは最近、「老子哲学」を日々の診療に生かしているそうです。約2500年前の中国の思想家・老子が残した言葉を、うつ病などの心の治療に応用しているというのです。なにやら面白そうなので、東京・四谷三丁目駅近くにある六番町メンタルクリニックを訪ねて、詳しく聞いてみました。

「今の日本で行われている心の治療は、認知行動療法とか、フロイドの精神分析とか、ロジャーズのカウンセリングとか、西洋から直輸入された方法が主流です。しっかりとした理論に基づく言うことのない方法なのですが、日本人が受けるにはバタ臭いというか、ちょっと取り組みにくい面もあります」

野村さんはいつも、分かりやすい言葉で説明してくれます。さすが人生案内のベテラン回答者です。最近はバタ臭い日本人も増えたと思いますが、東洋と西洋とでは、考え方というか、感覚というか、根っこの部分ではまだ違いがあるような気が確かにします。その違いについて、野村さんはさらに解説してくれました。

「西洋流の心の治療は『世の中には真実というものがある。それが分からないから迷うのだ』という考えに基づいています。論理的に考えて、自分で真理を見つけることで回復につなげようとします。例えばソクラテス的質問法では、治療者が質問をし、患者が答えると仮説を作って反対し、また質問するといった対話を繰り返して真実に気づかせていきます。すると『考えてみろ』『正してみろ』という雰囲気になり、治療者はまるで父親のような存在になります」

「これに対して東洋では、『人生いかに生きるか』を先達が教えてくれる、それに従え、という考えが根底にあります。西洋流の進め方で『気づけ』といわれても、日本人には苦しく感じる面があるかもしれません」

野村さんが最初に触れたように、今の日本で用いられている心の治療の多くは西洋発ですから、どうしても「気づけ」的な展開になりがちです。例えば認知行動療法は、ストレスを深めてしまう視野狭窄的な考え方を修正するため、多くの情報を集めたり、様々な可能性を考慮したりしながら視野を広げ、多角的な見方ができるようにします。その過程では、自ら「気づく」ことが重要になってきます。それが合う人ならよいのですが、「先生、わからないので教えてください」「私を導いてください」という人たちには、十分な効果を発揮しづらい面があるのかもしれません。

そこで野村さんが試みたのが、「セラピーそのものを東洋的にする」という方法です。その場合、「どのような生き方をすればよいのでしょうか」という患者からの問いかけに、「先生」としてある程度の答えを用意しておく必要があります。その答えのもとにするのにふさわしいと野村さんが考えたのが、「老子哲学」だったのです。

(続く)

老子哲学を臨床に生かしている野村総一郎さん