「神奈川・公開講座の開催報告」

2020.6.27 寄稿

 中村 麻美(地域活動センターひふみ/神奈川精神医療人権センター/横浜ピアスタッフ協会所属)

自分の生き方を自分で決められる社会を目指す

「自分の生き方を自分で決められる社会を目指す。」
講座の冒頭で細井さんが話された言葉だ。講座が終わって数日経った今、私の中でもっとも余韻を残し、心に響く言葉である。この言葉が耳に入った時、まず思い浮かんだのが、自分がまだ10代のころのことである。小学生までは学校に行くことが楽しくてしかたがなかった。しかし、中学校に通い始めてから、学校がただただ息苦しい場所になってしまった。なぜなら「自分の生き方を自分で決められる」場所ではなかったからだ。

一方的に定められた校則というルールに従わなければならず、学校以外の場所、外の世界から隔絶されていたからだ。(私は私立の女子校に通っていたので、その傾向がすこぶる強かった)ことはそんな単純ではないかもしれないが、この構造は今ある精神科病院と重なるものだと思った。

精神障害のある方を地域から隔離することで、精神科病院の中のルールに適応することを入院者に強要する。あのころの私が学校の中で抱いていた閉塞感、窮屈さは同じ構造の中で生まれる。しかし、あのころの私がまだましだったのは、「卒業」がほぼ自動的に、且つ確実にやってくるということだ。何がどうあれ、いずれは「卒業」できることはわかっていたので、ひたすら「卒業」後のことを考えることで、生き延びることができた。

しかし、精神科病院の中で入院させられている方はそうはいかない。いつ「退院」できるのかわからない中で、世間から隔離され続けるのである。そうすると、その中で生き延びることを最優先するために、その隔絶された世界に適応せざるを得なくなる。そこに選択はない。つまり、「自分の生き方を自分で決める」ことは許されないのだ。人権が認められないということはこういうことなのだと思う。

精神科医療の現状

もう一つ、苦い思いと共に思い出したことがある。それは数年前、私の勤める事業所の利用者の方が入院した時のことだ。その方はその時点で64才、ご家族はいない状態だった。

入院するにあたっての経緯もいろいろあったのだが、入院して半年ほど経った時、「本人抜き」のカンファレンスが開かれた。そこで主治医に言われた言葉が「退院の目処は1年後くらいです」であった。

主治医としては、その方には家族もおらず、家もなかったので(入院すると同時にグループホームを退去になっていた)、「地域での生活は大変でしょう」くらいにしか思っていなかったのだろう。

善意として言ったのかもしれない。けれども、「1年」という数字が退院の目処にどうしてなり得るのだろうか。全くもって根拠のなさ過ぎる目処である。まわりの関係者も呆れ返ったが、結局その直後主治医が交代したり、その方自身が入院中に怪我をしたこともあったりして、退院するのに3年かかってしまった。

ご本人も最初は退院したい気持ち満々でいたのだが、2年が過ぎた辺りで、「ここ(病院)でいい」と言うようになってしまった。その後何度か病院を訪れてご本人を説得し、なんとか退院につながったが、3年の間にその方の体力、気力は大分落ちてしまっていた。

全てが本人のいない場で決められていく中で、病院に閉じ込められ続けた3年は、この方にとって果たしてどんな意味があったのだろう。その方の「希望」「意志」「主体」を失うための3年間だったのではないかと思うと、恐ろしい気持ちになる。生き延びるために病院のルールに適応し、本来自分がどうありたいか、どうしたいかを見失わせるのには、3年という月日は十分であったにちがいない。

私自身は、この方の退院のために最善を尽くしたつもりでいるが、3年もかかってしまったという現実を思うと、今でも苦い思いである。この思いが、私が神奈川での人権センターの活動に参加する動機の一つとなっていることはまちがいない。

しかし、あくまでこれは動機の一つである。なぜなら、大変残念なことに私が事業所の利用者と関わる中で見てきた精神医療は、本当に「?」と思わされるようなことが大小さまざまではあるがたくさんあるのだ。

投薬の説明をほとんどされない、主治医が顔を見て診察してくれない、入院になった経緯を本人が納得できる形で説明がなされない、病棟内に悪臭がするなど。一般の総合病院ではあり得ないようなことが日常的に起きている。病院の外にいる私には、治療という名のもとに、患者一人一人の人権をないがしろにするような形で管理されているように見えることが多々あるのだ。

批判・非難だけではなく、社会が変わっていくために

ただ、一方で病院の現場は必ずしもそうではないことも私は知っている。現場で働いている病院のスタッフの多くは、患者さんを一人の個人として認識し、一人一人の声に耳を傾けようと努めている。そして、そうありたいと思いながらも、病院の、強いては社会の構造によってそのようにできずにもがき苦しんでいるスタッフが多くいることも。

だからこそ、これから始まる神奈川の人権センターでは、患者さん一人一人の声に耳を傾けつつも、誰かを糾弾し、責め立てることに終始することなく、患者さんを中心にその周辺全てがより良くなる道を探していきたいと思う。

ただ、その過程の中で時には厳しく戦わなければならないこともあるだろう。その時はきちんと「怒れる」存在でありたいと思っている。常に「怒る」その先を見つめながら。

神奈川精神医療人権センターの立ち上げに向けて

神奈川精神医療人権センターがこの春起ち上がろうとしている。「起ちあげよう」ということになったきっかけは、2019年の秋に大阪の人権センターの方々の話を聞かせていただいたことだ。

2時間近くの話しを聞かせていただいた後に思ったことは、「なんてすばらしい活動なのだろう」ということ同時に「なんでこんな当たり前の活動が神奈川には無いのだろう」ということだった。

私は支援者として横浜で働いて数年経つが、事業所に通う利用者も地域の支援者もみんな誰もが一度は精神科病院の悪口を語る。無理矢理薬を飲まされたこと、お風呂に短時間しか入れてもらえなかったこと、拘束されたことなどなど。大変残念なことに、病院の悪口については、枚挙のいとまが無い。「悪口」と書いたが、言い換えるとするとそれは「批判」である。

だが敢えて言う、「悪口」と。なぜなら、批判すれども、それをどうにかしようと働きかけたり、改善するために自ら動くことがほとんどできていないからだ。

それができなければ、批判も単なる「悪口」でしかない。私はこの神奈川の人権センターの活動においては、単なる「悪口」「泣き寝入り」で終わらすようなことはしたくないと思っている。きちんと批判しつつ、どんな小さなことでもいいから行動していけるようなチームを作っていきたいと思う。

そして、今「チーム」と書いたが、仲間との協力を大事にしたいと強く思っている。私は今現在、一事業所の職員として働いてもいるが、YPS(横浜ピアスタッフ協会)のメンバーでもある。

そこでは、病気や障害のあるなしや、支援するされるなど関係なしに「仲間=ピア」として存在でき、関係を築けているという実感を私自身強く持てている。このことは、神奈川で人権センターをやっていく上で、最大の強みになるだろう。当事者、家族、医療者、支援者関係なく、一人の患者さんのために動ける「ピア」のチームを作りたいと思う。そして、そういう仲間をこれからどんどん増やしていきたいと思っている。[了]

---------------------------------------

※本テキストは、大阪精神医療人権センター『KSK人権センターニュース152』に掲載されたものを、許可を得てウェブ掲載しています。

※大阪精神医療人権センターの人権センターニュースや記事が読めるnoteはこちら >>>